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明治・大正期の史学者。東京千住に生まれる。1889年東京専門学校(現,早大)卒業,96年東京帝大文科国史学科卒業,大学院に入り,98年《史学雑誌》に〈経済史の性質及範囲について〉を寄せる。最も早く〈経済史〉という言葉を使った学者である。東京帝大文科講師として日本経済史の講義を担当,ついで広島高師教授を経て,1907年京都帝大教授となり,同大国史科創設に努力した。この間,1903年イギリス,フランス,ドイツ等に留学。古代の通貨,班田収授,田地定期割替に関する多くの論文を書き,東京専門学校講義録として《経済史》なる論著をものし,新しい見解のもとに経済史の意義・性質について論究した。国史学の伝統に立ちつつ,西洋史学の方法をよく消化し,日本史研究における近代的学風を確立した。主著に《日本近世史》(1903),《経済史総論》(1912),《近世の日本》(1919)等がある。《内田銀蔵遺稿全集》5巻(1921-22)がある。
執筆者:宮本 又次
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歴史学者、京都帝国大学教授。明治5年1月25日、東京・千住(せんじゅ)に生まれる。東京専門学校(早稲田(わせだ)大学の前身)に学んだのち帝国大学文科大学国史学科に進み、1896年(明治29)卒業。さらに大学院で「日本経済史及び史学と経済学との教育的価値」を研究。1902~06年(明治35~39)ヨーロッパに留学。この間、「我国中古の班田収授法及近時まで本邦所々に存在せし田地定期割替に就きて」で文学博士の学位を得、03年には主著『日本近世史』を公刊。留学中の05年、海外在住のまま広島高等師範学校教授に任命されたが、帰国とほとんど同時に新設されることとなった京都帝国大学史学科の創設に参画、07年同大学教授となる。「日本経済史」「比較経済史の諸問題」などのテーマで講じ、当時主流の考証史学とは異なる闊達(かったつ)な学風を示した。大正8年7月20日没。
[永原慶二]
『永原慶二・鹿野政直編著『日本の歴史家』(1976・日本評論社)』
(秋元信英)
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