イエスは世を去ったが,再び来て〈最後の審判〉を行い,〈神の国〉を完成するというキリスト教の信仰。ギリシア語の原語パルシアparousiaは〈来臨,臨在〉の意で,これには第1のそれと第2のそれとの区別はない。これは〈インマヌエルImmanuel〉(〈神われらと共に〉の意)をメシアの名とした《イザヤ書》7章14節の救済理解からくる。そこで第1と第2を部分と全体,不完全と完全の意味で区別しえても,別種のものとはなしえない。再臨を時間的未来におく未来的終末論と空間的に現在におく現在的終末論とがあるが(前者はユダヤ教の黙示文学に,後者はヘレニズム宗教思想に関係する),再臨を非歴史的な超越におきかえる〈他種への移行〉は退けられる。パウロはコリント教会で,〈われわれはすでに復活して知者となっている〉と称する人々に出会い,これと対立して信仰の〈中間時性〉をつよく自覚するに至った。そして信仰とならんで愛と希望を中間時の倫理とし,苦難をもって来たるべき復活の序曲とした。それゆえ,終末の遅延が意識された結果,未来的終末論が現在的終末論に変わったという従来の説明は当を得ない。
パウロ以後,苦難と愛と希望が原始キリスト教の重要な倫理となった。《ヨハネの黙示録》が〈最後の審判〉を強調するのはローマ帝国との対決という具体的状況からくるが,再臨に関するこの基本理解は変わらない。しかしその後の教会は制度化をつよめたために中間時的倫理の力動性を失い,その結果第1の来臨と十字架の救いから離れてひたすら再臨を求める異端を生んだといえる。2世紀半ばのモンタヌスの〈神の国〉運動,4世紀末のドナトゥス派の千年王国説,同じく12世紀末のヨアキム・デ・フローリスのそれ,宗教改革時代の再洗礼派,19世紀初めにバプティストから分かれたアドベンティストなどがそれである。第1次大戦後の内村鑑三の再臨運動は,第1と第2の来臨を分離するものではなかったが,中間的制度的な教会を批判する無教会主義を生んだ。
→終末論 →千年王国
執筆者:泉 治典
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「キリストの再臨」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…ラテン語の〈来る〉あるいは〈来臨〉を意味するアドウェントゥスadventusからきた名称で,キリストの再臨(再来)がすぐにおこることを信じる人々あるいは教派をさす。再臨派ともいう。…
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