日本大百科全書(ニッポニカ) 「冨田渓仙」の意味・わかりやすい解説
冨田渓仙
とみたけいせん
(1879―1936)
日本画家。本名は鎮五郎(しげごろう)。福岡に生まれる。12歳のころ狩野(かのう)派の画家衣笠探谷(きぬがさたんこく)に学び、1896年(明治29)京都に出て、四条派の都路華香(つじかこう)(1870―1931)の門に入る。修業時代は南画に傾倒し、富岡鉄斎(とみおかてっさい)に私淑、また平安の仏画にも学んでいる。1912年(大正1)第6回文展に出品した『鵜船(うぶね)』で横山大観に認められ、再興美術院結成(1914)とともに院展に出品するようになり、翌年の『宇治川の巻』で同人となって、以後院展を中心に活躍し、『南泉斬猫(ざんびょう)・狗子仏性(くしぶっしょう)』『嵯峨(さが)八景』などを発表。晩年には『御室(おむろ)の桜』『伝書鳩(でんしょばと)』など独得の詩趣ある清新な画風を展開した。駐日フランス大使であった詩人のクローデルや俳人河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)との交遊も知られている。35年(昭和10)帝国美術院改組に伴い会員になるが、翌年の再改組を不満として辞任した。ほかに『雷神風神』『万葉春秋』などの作例がある。
[星野 鈴]
『弦田平八郎解説『現代日本絵巻全集7 冨田渓仙・今村紫紅』(1982・小学館)』