kotobank > 冷泉為相とは
冷泉為相【れいぜい-ためすけ】
6件の用語解説(冷泉為相で検索)
デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説-
冷泉為相 れいぜい-ためすけ
 
1263-1328 鎌倉時代の公卿(くぎょう),歌人。
弘長(こうちょう)3年生まれ。藤原為家の3男。母は阿仏尼(あぶつに)。冷泉家の祖。正二位,権(ごんの)中納言。家領の相続をめぐって異母兄二条為氏(ためうじ)とあらそう。しばしば鎌倉へでかけ,関東歌壇の指導者として重きをなした。「新後撰和歌集」などに歌がある。嘉暦(かりゃく)3年7月17日死去。66歳。初名は為輔。通称は藤谷(ふじがやつ)中納言。
【格言など】しぐれ行く雲まによわき冬の日のかげろひあへずくるる空かな(「風雅和歌集」)
この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2009.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。収録人物のデータは2009年1月20日現在のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
朝日日本歴史人物事典の解説-
生年:
弘長3 (1263)
没年: 嘉暦3.7.17 (1328.8.22)
鎌倉時代の歌人。『続後撰集』『続古今集』選者である藤原為家と,『十六夜日記』などの著者阿仏尼との子。歌道家冷泉家の祖。嫡流である二条家との間に所領の相続をめぐって訴訟があり,そのため鎌倉に下ることが多く,関東歌壇の有力な指導者となった。私選集『拾遺風体和歌集』『柳風和歌抄』は,関東での選と推定されている。京極為兼の影響下に京極派風の和歌も詠んだが,おおむね柔軟で平明な歌風を基本とした。他選家集『藤谷和歌集』がある。<参考文献>井上宗雄『中世歌壇史の研究』,福田秀一『中世和歌史の研究』
(渡部泰明)
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
世界大百科事典 第2版の解説-
れいぜいためすけ【冷泉為相】
1263‐1328(弘長3‐嘉暦3)
鎌倉後期の歌人。藤原為家の男で母は阿仏尼。正二位権中納言に昇り,冷泉家の祖。父の死後,遺領細川荘の相続問題で異母兄の嫡男為氏と争い,京極家の為兼と結束して,歌学面でも本家二条家に対抗した。多くの御子左家文書を相伝,鎌倉歌壇を指導し冷泉歌風を樹立した。その子孫は,現代まで歌道師範家の伝統を保つ。家集《藤谷和歌集》。勅撰集に65首入集。【上条 彰次】
※本文は出典元の用語解説の一部を掲載しています。
All Rights Reserved. Copyright(C)2012, Hitachi Solutions, Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。
美術人名辞典の解説- 鎌倉後期の公卿・歌人。冷泉家の祖。為家の四男、母は阿仏尼。初名は為輔、のち世藤谷殿・藤谷中納言と称す。為氏・為教らの異母弟。正二位権中納言に至る。『新後撰和歌集』以下に入集。嘉暦3年(1328)歿、66才。
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル大辞泉の解説-
れいぜい‐ためすけ 【冷泉為相】
[1263~1328]鎌倉後期の歌人。藤原為家の子。母は阿仏尼。冷泉家の祖。鎌倉連歌の発展に尽力。家集に「権中納言為相卿集(藤谷集)」がある。藤原為相。
この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
大辞林 第三版の解説-
れいぜいためすけ【冷泉為相】
⇒ 藤原(ふじわらの)為相
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
冷泉為相に近い言葉→冷泉為清|冷泉為頼|冷泉為豊|冷泉為柔|上冷泉為泰|冷泉為系|冷泉為綱|冷泉為経|冷泉為栄|冷泉為富
冷泉為相の関連情報
「冷泉為相」に関連するTwitter- Powered by twitter
ショッピング検索
「冷泉為相」のスポンサー検索



