冷泉院跡(読み)れいぜいいんあと

日本歴史地名大系 「冷泉院跡」の解説

冷泉院跡
れいぜいいんあと

嵯峨天皇をはじめとする累代後院の一。

「拾芥抄」によれば「大炊御門南堀川西、嵯峨天皇御宇、此院累代後院、弘仁帝本名冷然院云云、而依火災然字泉、天暦御記、然者改冷然冷泉也」とあり、初め冷然院と称し、大炊御門大路南、堀川小路西の地にあった。同書所収の東京図は同地の方二町を示しており、現二条城町内の北東の地にあたる。

冷泉院の造営年代は不詳であるが、弘仁七年(八一六)八月には嵯峨天皇が行幸し、「命文人詩」(類聚国史)とある。嵯峨天皇は弘仁一四年譲位と同時に当院へ移り、承和元年(八三四)嵯峨院(現大覚寺)へ移るまでの一一年間を過ごしている(日本紀略・続日本後紀)。その間、天長七年(八三〇)八月には嵯峨天皇の皇女でもあった淳和皇后が「詣冷然院新造寝殿」という記事もみえる(日本紀略)。嵯峨院に移ってからも、冷然院は後院として院司が設けられ、武蔵国播羅郡(現埼玉県大里郡)の荒廃田一二三町が維持のために寄せられ(続日本後紀)、貞観三年(八六一)にも更に尾張国愛智郡の荒廃田一〇八町六段三〇〇歩が付せられている(三代実録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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