刈和野村(読み)かりわのむら

日本歴史地名大系 「刈和野村」の解説

刈和野村
かりわのむら

[現在地名]西仙北町刈和野

南北に通ずる羽州街道に沿った平坦地にある。南は北楢岡きたならおか村・神宮寺じんぐうじ(現神岡町)、北は峯吉川みねよしかわ村、西は雄物川を境に北野目きたのめ村と接する。

「語伝仙北之次第」に、天正一六年(一五八八)閏五月、小野寺義道が安倍実季とよど川付近で戦った折、「横手屋形、苅和野迄出陣」とあり苅和野の地名がみえる。永禄年間(一五五八―七〇)に刈和野荘左衛門が寄騎よりき館に居住したと伝える。

明暦(一六五五―五八)以前は五町あったが、その後本道ほんどう町・六郷町は畑となり、二日ふつか町・五日いつか町・八日ようか町の三町となり、享保(一七一六―三六)頃までには八日町も畑となったと伝える(六郡郡邑記)。このほか侍町として、愛宕あたご町・御指南ごしなん町・御足軽おんあしがる(裏町)があった(西仙北町郷土誌)

雄勝平鹿ひらか・仙北三郡を貫流する雄物川のほぼ中流にあり、また由利郡や、半道寺はんどうじ村を経て山越え角館かくだて地方にも通じる政治・経済上の重要な場所であった。佐竹氏は入封すると領内支配のために当村へ渋江氏と足軽を配した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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