出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
分家の別称でもあるが,術語としては,もっぱら商家同族団において,主人家族員の暖簾(のれん)分けを分家と称し,番頭を勤めあげた非血縁家成員の暖簾分けを別家と区別する。日本の分家慣行を考察する場合,親族的な系譜関係で結ばれておらず,暖簾という家の象徴と家産の分割によって成立する分家の一形態である別家(奉公人分家)を視野にいれることは,その特殊な性格を知るうえで重要視される。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…また傍系血族が多く同居して,大家族などと呼ばれる状態を示した地方もあるが,多くは耕地の狭小や交通の隔絶地で分家が不可能になった所である。 町方に住む商工業者も多くは単婚小家族であったが,大商人などには手代・丁稚などが多数いて,手代が別家することも多かったが,その別家は主家に対して主従関係に近い状態を保っていた。庶民の中にも,その家の存続のために家訓を定めたり,分家の制限をしたこともある。…
…生みのオヤが有力な家の家長やその妻やアトトリにオヤとなってもらって,無力な家に生まれた子がそのコ(子分)となる社会的事実は,ムラやマチの慣習や儀礼におけるオヤコナリ(親子成り)の仕方に見いだされた。家の内では家長と家の成員の関係としてのオヤコに,子方・子分・子供衆(商家の住込み子飼いの丁稚(でつち))もまた子と同様にコとして含まれる点に注目すべきで,家の拡大展開による本家・分家(親族分家と非親族分家=奉公人分家,別家ともいう)の関係においてもこの原則はあった。本家・分家間の同族の関係は,明治の民法以来,法律上本家・分家とされたものとは違って,親子や養親・養子,また嫁・婿の範囲に限定されず,同族関係とオヤコ関係(親分・子分関係)が合致していたのが原型であり,のちに両者が分化された。…
… 一定年限の手代奉公を勤めあげると,住込みをやめ,世帯をもつことが許されて,宿持(やどもち)となることが多い。これが別家(べつけ)制度である。別家となると退職金,元手金,世帯道具などが与えられるが,必ずしも自分の商売をするのではなく,本家への勤務をつづけ,通勤の番頭,支配人となるものも多かった。…
…社会学,民族学,民俗学,社会人類学によっては同族団(同族集団,同族団体,同族組織)と呼ばれ,国際学界でもdozokuの名でとおり,クランclanやシブsibとは区別されている。ここにいう分家は末家(マッケ)とも呼ばれ,分家,別家と並べて呼ぶときは一方が親族分家,他方が奉公人分家を指す(関西の都市の商家では必ず別家のほうが奉公人分家を指し,ムラではその逆の呼び方もある)。明治の民法上の〈分家〉は親族分家のみを指し,民法上の〈本家・分家〉関係は奉公人分家を〈分家〉とは認めず排除している。…
…支配人のほかに,これを助ける支配脇(わき)が1~2人いた。支配人や番頭,支配脇のような人々はおおむね別家居住であった。別家には主家から若干の資本と暖簾(のれん)とを分けてもらい,独立の商人となったものもいるが,大商店では多年忠勤をぬきんでた功労によって別家を許され,通い番頭となるものが多かった。…
…一般にある家族に属する家族員が分離して新たな家族を創設する分家行為によって形成された家族をいう。しかしながら日本では家族員の分離のすべてを分家と呼んできたわけではないし,分家行為によらない分家の例もしばしばみられた。分家はまず単なる家族員の分離ではなく,新たな家族の形成が社会的に承認されなければならない。村落社会においてはとくにこれが重要であって,社会的承認を得るための村への挨拶など数々の手続がみられた。…
…屋号は,酒屋,米屋など取扱品目によるもの,大黒屋,えびす屋など福神の名を冠するもの,伊勢屋,近江屋,越後屋など出身地にちなむものなど多様であった。暖簾分けによって別家となった商家は,営業上の信用を象徴する主家の屋号を名のることが恩恵的に許された。商号【鶴岡 実枝子】
[歌舞伎の屋号]
江戸時代の歌舞伎役者は,一般庶民より身分が低いとされ,名字が公式には許されていなかったため,屋号で呼ばれた。…
※「別家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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