改訂新版 世界大百科事典 「制癌薬」の意味・わかりやすい解説
制癌薬 (せいがんやく)
anti cancer agent
制癌剤または抗癌剤ともいう。基礎的検討を経た薬剤で,患者に使用したとき,癌の増殖が抑えられ,一定の効果判定規準に従って有効と判断されるものをいう。現在,日本で臨床に用いられている制癌薬は約40ほどであるが,新しい制癌薬は今後も生まれる可能性が大きい。
制癌薬はその起源によって,天然物由来のものと人工合成物の2種類に大別されるが,一般にはその起源ないし作用形態から,次の6種類に分類されることが多い。(1)アルキル化剤,(2)代謝拮抗剤,(3)抗癌性抗生物質,(4)植物アルカロイド類,(5)ホルモン類,(6)その他,である。
アルキル化剤
この群の制癌薬はその作用がアルキル化反応を起こすことが主体となっている。しかしアルキル化反応を起こす化合物のうち,分子の大きさ,荷電状態,アルキル化の速度,分配係数などの一定の条件を満たすもののみが活性を示すと考えられており,生物学的アルキル化剤の名で呼ばれることもある。アルキル化剤には,(1)突然変異誘発作用,発癌作用,細胞増殖抑制作用がある,(2)癌細胞のDNA合成阻害,とくにグアニン塩基の7位のアルキル化を起こす,(3)分裂細胞の染色体に著しく特徴的な形態変化を起こす,(4)造血器障害,免疫抑制作用を示すものが多い,などの特徴がある。アルキル化剤の多くは放射線照射効果と類似作用を示すことから,放射線類似物質と呼ばれることもある。アルキル化剤は合成制癌薬としては最も早くから科学的,系統的に研究されたもので,1940~50年代にかけて開発されている。日本でも50年代に石館守三,吉田富三らの協力でナイトロジェンマスタード-N-オキシド(商品名ナイトロミン。以下かっこ内は商品名を指す)が生まれた。臨床的によく用いられるものとして,シクロホスファミド(エンドキサン),カルボコン(エスキノン),チオテパ(テスパミン),ニムスチン(ニドラン)などがある。またこのほかに,ブスルファン(マブリン),ピポブロマン(アメデール),インプロスルファン,別名864T(プロテクトン),メルファラン(アルケラン)およびミトブロニトール(ミエブロール)の5種類が臨床に供せられている。アルキル化剤は一般に白血病や悪性リンパ腫などの造血器腫瘍の治療に用いられることが多く,副作用として白血球や血小板などの減少が著しい。しかし癌細胞のDNA合成を抑え,細胞周期の相に関係なく作用する点で併用薬としても重要な薬である。
代謝拮抗剤
1932年,ドイツでスルファミンの細菌に対する効果が発見され,その後代謝拮抗の考え方が生まれた。これは細菌の必須代謝物質の構造に,似て非なる構造をもつ化合物が細菌によって誤って利用され,その増殖を止めるというもので,このような考えが癌治療にも当てはめられたといえよう。この群の化合物はその代謝阻害の形態から,葉酸拮抗体,ピリミジン誘導体,プリン誘導体,その他の4種に分けられる。
(1)葉酸拮抗体 葉酸は核酸塩基の基本となるプリン骨格を形成するときに重要な補酵素として働くが,その葉酸のプテリジン骨格に化学的修飾を加えた物質が,葉酸が還元されて補酵素として働くときの作用を抑える。臨床的に用いる制癌薬としてメトトレキセートがあり,白血病や絨毛(じゆうもう)癌の治療に用いられているが,白血球や血小板の減少,悪心,嘔吐その他の副作用がみられる。
(2)ピリミジン誘導体 この群には日本で消化器癌の治療に用いられることの多い5-フロロウラシル(5-FU)が含まれる。これはチミジル酸合成酵素に作用してその作用を妨げることにより,結果的にDNA合成を抑えるのが主作用である。日本では,これの誘導体としてテガフール(フトラフール)がソ連から導入され,経口投与により5-FUと同じように用いられるが,副作用の発現は少ない。最近,類似化合物としてカルモフール(ミフロール)が開発されたほか,テガフールを1とウラシルを4の比率で配合したUFTも最近開発された。さらに抗白血病薬として,シトシンアラビノシド(キロサイド),サイクロシチジン(サイクロC)などがある。最近,投与法の比較的容易な抗白血病薬エノシタビン,別名BH-AC(サンラビン)が開発された。いずれもDNA合成を阻害する。
(3)プリン誘導体 代表的なものに6-メルカプトプリン,別名6-MP(ロイケリン)が知られている。これも結果的にDNA合成を阻害するもので,抗白血病剤として利用されている。そのほか,この群にはチオイノシーなどがある。
抗癌性抗生物質
抗癌性抗生物質の開発には日本の学者の貢献するところが少なくない。放線菌の培養ろ(濾)液から分離されたものが多く,核酸合成阻害作用を示す抗生物質は癌治療において実用価値が大きい。マイトマイシンCは日本の秦藤樹らが1956年に放線菌の1種から分離したもので,消化器癌の治療に広く用いられている。造血器への副作用は比較的大きい。ブレオマイシンは66年梅沢浜夫らが放線菌の1種から分離したもので,皮膚癌などの扁平上皮癌の治療に利用されている。間質性肺炎,肺繊維症などの副作用が知られている。ダウノルビシン(ダウノマイシン)とドキソルビシン(アドリアマイシン)は1960年代にイタリアで見いだされ,後者は固形癌や造血器の癌に比較的幅広い有効性を示す。DNA合成を阻害するが,骨髄毒性のほか,心臓毒性や脱毛が現れることがある。より副作用の少ないものとしてアクラルビシン(アクラシノマイシン)が開発された。これは主としてRNA合成を阻害し,副作用も少ない。そのほか,日本で見いだされたネオカルチノスタチンやクロモマイシンA3(トヨマイシン),ブレオマイシンの第2世代抗生物質といえるペプロマイシン(ペプレオ)などや,歴史の古いアクチノマイシンD(コスメゲン)なども臨床に利用されている。
植物アルカロイド類
ツルニチニチソウのアルカロイド製剤,ビンブラスチン(エクザール)とビンクリスチン(オンコビン)が臨床に用いられている。造血器腫瘍のほか,併用により固形癌の治療に用いられる。作用機序として微小管(マイクロチュブル)の形成阻害を示し,紡錘糸形成の前駆体と結合して細胞の分裂阻止を示すほか,RNA合成も阻害する。これらの投与により中枢神経症状が副作用として現れることがある。
ホルモン類
ホルモン自身に直接抗癌性はないが,ホルモン依存性の性器癌,たとえば乳癌や前立腺癌の治療には,それぞれ男性または女性ホルモンが用いられる。造血器の癌に対してはグルココルチコイド製剤である,プレドニゾンやプレドニゾロンが他剤と併用して用いられることが多い。男性または女性ホルモン製剤そのままでは男性化ないし女性化の副作用が現れることが多いため,それらの副作用の少ない薬剤として乳癌治療にタモキシフェン(ノルバデックス)やメピチオスタン(チオデロン)が最近開発され,用いられている。
その他の制癌薬
以上の分類に属さないものにプロカルバジン(ナツラン),シスプラチン(ランダまたはブリプラチン),L-アスパラギナーゼ(ロイナーゼ),エストラムスチン(エストラサイト)などがあり,それぞれ悪性リンパ腫,種々の固形癌,白血病,前立腺癌の治療に利用されている。このうちシスプラチンは白金の錯化合物で,1960年代後半にアメリカで発見され最近日本に導入された。DNA合成を阻害し,臨床的には卵巣癌,睾丸腫瘍,腎腫瘍,膀胱癌,前立腺癌などへの有効性が示されている。しかし,腎臓毒性が激しいため,多量の水分の補給と利尿剤の併用が必要で,これによって副作用はかなり防止される。悪心,嘔吐は一般にみられる。日本では細胞性免疫を活性化する溶連菌製剤,OK-432(ピシバニール),サルノコシカケ科カワラタケ多糖体PSK(クレスチン)も制癌薬に含まれ,それぞれ化学療法と併用して固形癌の治療に利用されている。一般には免疫療法剤に分類されることが多い。同様にシイタケから分離されたレンチナンもこの群に属するものである。また結核菌から調製された丸山ワクチンも免疫製剤として利用されているが,その効力性については明らかではない。
以上のほか,現在開発中の制癌薬も多く,低毒性で癌に選択性を示すものが求められている。また種々のサイトカイン類(マクロファージまたはリンパ球が抗体刺激を受けて出す糖タンパク質)も,制癌薬として研究されているものが多い。たとえば,インターフェロン(α,βおよびγ型)や腫瘍壊死因子(TNF)と呼ばれるものなどがある。このうち,インターフェロンβ型は悪性黒色腫や脳腫瘍,白血病,乳癌などに有効性がみられたとの報告もある。γ型は現在臨床評価中であるが,いずれも初期に期待された著しい抗腫瘍効果はみられなかった。副作用として発熱,全身倦怠などが共通してみられるという。
→癌
執筆者:塚越 茂
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