加久藤城跡(読み)かくとうじようあと

日本歴史地名大系 「加久藤城跡」の解説

加久藤城跡
かくとうじようあと

[現在地名]えびの市小田

川内せんだい川北岸の丘上にあった。東側を同川支流二十里はたり川が流れ、北方背後は山となっている。「三国名勝図会」には「山形四面は皆絶壁にして天険の城地なり」と記される。少し隔てた南方には新城があった。

永禄七年(一五六四)北原氏に代わって真幸まさき地方を与えられた島津忠平(義弘)は、伊東氏に備えるため飯野いいの城を修復し、さらに加久藤城を築いた。同年一一月一七日忠平は飯野城に入り、加久藤城には夫人広瀬氏を置いたという(島津国史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

メタン

化学式 CH4 。最も簡単なメタン系炭化水素で,天然ガスの主成分をなしている。また石炭ガスにも 25~30%含まれる。有機物の分解,たとえばセルロースの腐敗,発酵の際に生成され,沼気ともいわれる。また...

メタンの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android