新撰 芸能人物事典 明治~平成 「加東大介」の解説
加東 大介
カトウ ダイスケ
- 職業
- 俳優
- 本名
- 加藤 徳之助
- 別名
- 前名=市川 莚司
- 生年月日
- 明治44年 2月18日
- 出生地
- 東京市 浅草区(東京都 台東区)
- 学歴
- 東京府立第七中(旧制)卒
- 経歴
- 父は宮戸座の座付作者・竹柴伝蔵、兄は俳優の沢村国太郎、姉は女優・沢村貞子という俳優一家。父の影響で歌舞伎界に入り、大正5年6歳の時に宮戸座で初舞台。東京府立第七中学(墨田川高)を卒業後、昭和4年2代目市川左団次に入門、市川莚司と名乗る。8年前進座に参加し、山崎進蔵(のち映画俳優・河野秋武)、市川扇升(劇作家・小山内薫の息子)と並び“若手三羽烏”と称された。同年「段七しぐれ」で映画初出演。その後も舞台や映画で活動するが、18年応召し南方戦線に従軍。21年復員後は前進座を退団して兄・国太郎、姉・貞子らと新技座を結成して京阪地方に巡業するが、苦難が続いたため、23年大映京都と契約を交わして映画界に入る。同年東横映画製作の現代劇映画「五人の目撃者」に出演する際、市川莚司では古臭いとして加東大介に改名した。25年黒沢明監督の「羅生門」の出演者に抜擢されて注目を浴び、以後、黒沢監督の「生きる」「七人の侍」「用心棒」などで脇役として活躍。26年東宝と契約し、同年の森一生監督「決闘鍵屋の辻」と、27年成瀬巳喜男監督「おかあさん」で毎日映画コンクール及びブルーリボンの助演男優賞を受賞した。30年「血槍富士」「ここに泉あり」で再びブルーリボン助演男優賞。32年獅子文六原作・千葉泰樹監督の「大番」では主役の“ギューちゃん”を好演、シリーズ化されて33年まで計4本が製作され、“ギューちゃん”の名前は自身の代名詞ともなった。以降も「一本刀土俵入」「サラリーマン出世太閤記」「サラリーマン忠臣蔵」などで主役を張る一方、森繁久弥主演の〈社長〉シリーズや、成瀬監督の「晩菊」「浮雲」「流れる」「乱れ雲」などの名作に出演。36年南方戦線での体験を書いた「南海の芝居に雪が降る」(のち「南の島に雪が降る」に改題)はベストセラーとなり、同年自身の主演でテレビドラマ化、次いで映画化もされた。一方、NHK大河ドラマ「源義経」「竜馬が行く」「勝海舟」をはじめとするテレビドラマへの出演や、芸術座「有田川」「子を貸し屋」など舞台活動も続け、46年には久々に前進座の舞台に立った。50年結腸がんで入院し、同年死去。黒沢監督の「七人の侍」では生き残った侍の一人を演じたが、7人の演者の中ではもっとも早い死であった。他の出演作に映画「血槍富士」「ここに泉あり」「鬼火」「陸軍中野学校」などがある。
- 受賞
- ブルーリボン賞助演男優賞(昭27年度 昭30年度)「おかあさん」「決闘鍵屋の辻」「血槍富士」「ここに泉あり」 毎日映画コンクール助演男優賞(昭27年度)「おかあさん」
- 没年月日
- 昭和50年 7月31日 (1975年)
- 家族
- 父=竹柴 伝蔵(狂言作者),兄=沢村 国太郎(俳優),姉=沢村 貞子(女優),息子=加藤 晴之(オーディオ製作者),孫=加藤 隆之(俳優)
- 親族
- 甥=長門 裕之(俳優),津川 雅彦(俳優)
- 伝記
- 木瓜の実―石井雪枝エッセイ集 石井 雪枝 著(発行元 ドメス出版 ’90発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報