勧農政策(読み)かんのうせいさく

世界大百科事典(旧版)内の勧農政策の言及

【勧農】より

…後進地の対馬藩では,18世紀初頭のころ,焼畑農業から普通畑への移行を目的にした農業振興策が採用され,甘藷の導入,野猪の被害対策などが実施されているが,これは極端な低生産力地帯の特例である。【葉山 禎作】
[近代]
 明治維新後,勧農は政府の殖産興業政策の一環として推進されたが,農業奨励の政策(勧農政策)と,そのもとでおこなわれた諸事業(勧農事業)がある。そうした政策を担当した中央官庁は,1870年(明治3)に開設された民部省勧農局,71年の大蔵省勧農寮,ついで74年設立の内務省勧業寮(後に勧農局),その後は81年新設の農商務省(農務局)などであった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」