尺貫法の質量の単位、1貫の1000分の1、3.75グラムにあたる。もとは銭で、銭貨1文の目方を文目とよんだ習慣からこの呼称が定着した。匁は銭の古字「泉」の草書である。唐の開元のとき開元通宝が鋳造されたが、これが重さ2銖(しゅ)4(るい)、直径8分に正確につくられ、以後は銭貨の標準となった。そこで宋(そう)代にはこれを質量の単位とすることが普及し、日本にも銭貨とともに渡来して匁とよばれるようになった。このため中国と日本とでは長く質量の単位は一致していたが、1891年(明治24)度量衡法の制定にあたって1貫を3.75キログラムとしたため、わずかの差を生じた。メートル法による統一にあたって商取引用の使用は禁止されたが、真珠用として外国でも用いられているという理由で、真珠の取引用には現在も、用途を限定する非SI単位として認められている。
[小泉袈裟勝・今井秀孝]
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… 補助単位の〈銭〉はアメリカの補助単位セントの発音に類似のために採用されたともいわれているが,これも俗説である。東洋世界での銅銭の原基となった唐の開元通宝(621鋳造)の量目を,宋以降に新たな単位として匁または銭とよんだ。日本の銅銭,和同開珎も寛永通宝も当初量目が一匁のゆえに,これらを一文銭とよぶ。…
…この名称は銅銭1000枚の穴に緡(びん)(鏹(きよう)ともいい,ぜにざしのこと)を貫いて束ねたことに由来し,日本でも唐銭,宋銭の流入に伴って室町時代前後から用いられるようになった。江戸時代になると通貨は基本を異にする金,銀,銭の3貨に分かれ,基本単位は金貨が小判の両(=4分=16朱),銀貨が匁,銭貨が文であり,銀貨1000匁を1貫目,銭貨1000文を1貫文と呼んだ。このうち銀貨は秤量(ひようりよう)通貨であり,単位の匁や貫目は質量(目方)の単位である。…
… このころまで金は一般に秤量貨幣として流通した。金の量目は鎌倉時代から1両=4匁5分が行われ,金の使用が広まるにつれこの量目法を京目と呼び,地方に4匁,4匁2分などを1両とする田舎目が行われた。16世紀後期に畿内中心に1両=4匁4分に改まったが,両,分,朱の四進法と貫匁法を併用する便宜からであろう。…
… 16世紀以来秤量貨幣として銀流通が発達した。古代には銀の秤量は令に定められ,唐制の大称の斤・両・銖が行われたが,鎌倉時代から1両=4匁3分の法がみられる。銀1枚は10両=43匁である。…
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