北久宝寺町三丁目(読み)きたきゆうほうじまちさんちようめ

日本歴史地名大系 「北久宝寺町三丁目」の解説

北久宝寺町三丁目
きたきゆうほうじまちさんちようめ

[現在地名]東区北久宝寺町二―三丁目

北久宝寺町二丁目の西に続き、さかい筋から難波橋なにわばし筋を経て中橋なかばし筋まで。町名は明暦元年(一六五五)の水帳奥書写(安政三年「水帳」大阪市立中央図書館蔵)にみえる。大坂三郷南組に属し、元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では屋敷数三二・役数五三役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。年寄は吉野屋与三兵衛。安政三年(一八五六)には屋敷数三四・役数五三役で、うち年寄分・会所分各一役が無役(同年水帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android