北杣・北伊賀庄(読み)きたそま・きたいがのしよう

日本歴史地名大系 「北杣・北伊賀庄」の解説

北杣・北伊賀庄
きたそま・きたいがのしよう

北杣は現阿山町北半を占める広大な地域で、南伊賀名張なばり郡にあった東大寺領の南杣・荘園に対する称。一方、北伊賀庄は名張郡を除く伊賀国東大寺領荘園の総称と推定される。北杣の名称は一二世紀より現れ、東大寺は玉滝たまたき鞆田ともだ湯船ゆぶね丸柱まるばしら内保うちほ真木山まきやまの諸庄の総称とし(建仁元年七月日「記録所勘状案」東大寺文書)、国衙側は玉滝杣のみに限定しており、その他は出作とする(保元元年一二月日「東大寺三綱解案」同文書)。平安末期、丸柱が寺領を離れ五ヵ所の総称となり、宝治三年(一二四九)真木山庄の預所の非法を訴えた玉滝・鞆田・湯船・内保・真木山の諸庄の百姓による申状(同年三月二五日「伊賀北杣百姓神人等連署申状」百巻本東大寺文書)には「北杣五ケ庄」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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