北清水村(読み)きたしみずむら

日本歴史地名大系 「北清水村」の解説

北清水村
きたしみずむら

[現在地名]横芝町北清水

鳥喰下とりはみしも村の南東方に位置し、東を栗山くりやま川が流れる。単に清水村ともいう。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高二六二石。正保国絵図では高二〇六石。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳では屋形組に属し、旗本加藤領三二六石・関口領五石。元禄郷帳では高三三五石余。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では家数一五四、旗本加藤・川口領。旧高旧領取調帳では加藤領七〇七石余。宮脇みやわきに清水神社があり、勧請は平治元年(一一五九)と伝える。


北清水村
きたしゆうずむら

[現在地名]湖東町北清水

南清水村の北東に位置する。慶長五年(一六〇〇)彦根藩領となり、慶長高辻帳に村名がみえ高四一七石余。同七年検地が行われ、検地帳写(北清水共有文書)によれば、田二三町一反余・畑五反余・屋敷三反余、高四一七石余。正保二年(一六四五)の竹検地帳(同文書)によれば、坪数合せて二九一坪半、竹数合せて一千一六八本。文久二年(一八六二)上知。元禄八年大洞弁天寄進帳によれば男一一二・女一二〇、寺社方男四・女三。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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