日本歴史地名大系 「北熊村」の解説
北熊村
きたくまむら
「徇行記」によれば、村は城下の東方四里、概高三六五石余、見取高二石余、その大部分は藩士一〇人の給知で、水野代官所の支配に属した。寛文一一年(一六七一)の家数二七、人数一七八(寛文覚書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
「徇行記」によれば、村は城下の東方四里、概高三六五石余、見取高二石余、その大部分は藩士一〇人の給知で、水野代官所の支配に属した。寛文一一年(一六七一)の家数二七、人数一七八(寛文覚書)。
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