北牧村(読み)きたもくむら

日本歴史地名大系 「北牧村」の解説

北牧村
きたもくむら

[現在地名]子持村北牧

吹屋ふきや村の西にあり、子持山南麓扇状地および吾妻あがつま川左岸の河岸段丘上に位置する。北東は中郷なかごう村、北西は横堀よこぼり村、西は小野子おのこ(現小野上村)、南は南牧なんもく村・川島かわしま村・金井かない(現渋川市)近世、三国街道の宿場であった。「延喜式」左右馬寮にみえる利刈とかり牧を当村から白井しろい尖野とがのにわたる吾妻川北岸一帯に比定する説もある(「名跡志」ほか)。中世にはもくと称された(→南牧村

寛文郷帳では北牧村・南牧村ともに牧村と記されるが、当村は田方は水旱両損と注記され二七八石余、畑方五八四石余、幕府領。元禄郷帳でも牧村とあるが、元禄一〇年(一六九七)の秣場出入和解証文(宮下文書)では北杢村の名がみえる。三国街道設定後、宿として指定され、金井宿へ一八町、横堀宿へ二八町であった。吾妻川を渡った人馬・継立荷物はいちばん南の新田しんでん宿(初めは芝宿・古宿)で集散した。

北牧村
きたまきむら

[現在地名]多気町まき

鍬形くわがた村の西にあり、北を櫛田くしだ川が流れる。初瀬はせ(伊勢)本街道西側沿いにある。条里制の施行された所で字名に縄手なわてがある。北牧は下牧しもまきともいい、対岸広瀬ひろせ(現松阪市)に渡る渡船があった。街道寄りに渡船場へ向かう道があり、その道角に「右松坂、左いせ道」の地蔵道標が残る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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