北白川 房子(読み)キタシラカワ フサコ

20世紀日本人名事典 「北白川 房子」の解説

北白川 房子
キタシラカワ フサコ

明治〜昭和期の皇族



生年
明治23(1890)年1月28日

没年
昭和49(1974)年8月11日

出生地
東京

別名
幼名=周宮(カネノミヤ)

経歴
明治天皇の第7皇女。明治42年北白川宮成久王と結婚。大正11年成久王留学中のパリ外遊。12年成久王、自動車事故死去、自身も負傷、13年帰国。昭和15年第1男子永久王も張家口で事故死。戦後22年伊勢神宮祭主となり、同年10月皇族の身分を離れ、27年神社本庁総裁、伊勢神宮奉賛会総裁。北白川祥子女官長の義母。義父能久親王も戦病死され、悲劇の宮家といわれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北白川 房子」の解説

北白川房子 きたしらかわ-ふさこ

1890-1974 明治天皇の第7皇女。
明治23年1月28日生まれ。母は典侍園祥子(さちこ)。明治42年北白川宮成久(なるひさ)王と結婚,1男3女をもうける。大正12年パリで自動車事故にあい,夫は死亡し自身も負傷。昭和15年長男永久(ながひさ)王が事故死。22年神宮祭主となり,同年皇籍をはなれた。のち神社本庁総裁,伊勢神宮奉賛会総裁。昭和49年8月11日死去。84歳。幼称は周宮(かねのみや)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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