十楽寺堰・飯塚堰(読み)じゆうらくじせき・いいづかせき

日本歴史地名大系 「十楽寺堰・飯塚堰」の解説

十楽寺堰・飯塚堰
じゆうらくじせき・いいづかせき

渋海しぶみ川を岩田いわだで取水し、渋海川両岸に流れ、長岡藩領川西組一万石余を灌漑する田地用水江。飯塚江ともいう。右岸の十楽寺堰をかみ堰、左岸の飯塚堰を下堰とも称する。開削は上杉氏時代と伝えるが不詳。十楽寺堰組は岩田村・飯塚村・朝日あさひ村・来迎寺らいこうじ村・来迎寺村古らいこうじむらこ新田・うら村・道半どうはん村・宮川外みやがわと新田・中沢外なかざわと新田の九ヵ村。飯塚堰組は深沢ふかさわ村・才津さいづ村・上除かみのぞき村・本大島もとおおじま(現長岡市)など、および現三島みしま町・与板よいた町域の村々にまで及んでいた。正保二年(一六四五)の飯塚江普請につき取決め証文(中静栄吉氏蔵)では、深沢・才津・さかい高瀬たかせ槙山まきやま(現長岡市)の下流域の村々における普請の際の取決めが行われている。中静栄吉氏蔵文書には、用水筋の借地補償、用水にかける橋、堰止めによって生じる渋海川の川欠け田地の補償および修理、用水路の土砂上げ地の借地補償などの取決めがみられるが、各々の用水堰を利用する村々の間ではしばしば水争いが起こっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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