千国道(読み)ちくにみち

日本歴史地名大系 「千国道」の解説

千国道
ちくにみち

文明一五年(一四八三)三月三日付の三宮穂高社御造宮定日記の巻末穂高ほたか神社領の四至を定めた文言の中に「東ハ千国大道ヲサカフ」と記されているのを千国道の初見とする。更にさかのぼって建武三年(一三三六)一一月、新田義貞が敗れて千国口を経て上州に落ちようとしたことがあり(市河文書)、早くから用いられていた道であることが知られる。ひめ街道ともいう。

また、この道は古代において松本盆地府中(現松本市)と新潟県糸魚川いといがわ市方面をつなぎ北陸道と連絡する主要路であった。その推定経路は、古代の峠に名付けられた御坂みさか峠に関して、現北安曇きたあずみ小谷おたり村大字北小谷のおお(一二一五メートル)を通った道を享保一六年(一七三一)三月の時点では「三坂峠道」と書き、ミサカ峠道と称していたことを示す文書(「乍恐以口上書を奉願候御事」山田寛氏蔵)の発見により、越の国から信濃へ入っていた道のあったこと、次に現北安曇郡小谷村大字千国の沓掛くつかけ、現大町おおまち市大字常盤の沓掛ときわのくつかけ、同市大字社松崎やしろまつさき沓掛など、古代の宿でもある沓掛の地名のあること、現南安曇郡穂高町大字有明ありあけに古代の駅家の所在地と想定される古厩ふるまや集落があることをはじめ、南・北安曇郡下に駅家にかかわる地名としてうまくちなどの地字のあること、等々が存在し、これらの点的存在はいずれも松本盆地の西方山麓を経過しており、地元の人たちはいずれもがよんでいる千国ちくに道とおよそ一致することから、古代の千国道の存在が肯定できる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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