千石剛賢(読み)センゴク タケヨシ

20世紀日本人名事典 「千石剛賢」の解説

千石 剛賢
センゴク タケヨシ

昭和・平成期の宗教家 イエス方舟主宰



生年
大正12(1923)年7月12日

没年
平成13(2001)年12月11日

出生地
兵庫県有田村

別名
別名=千石イエス(センゴクイエス)

学歴〔年〕
有田高小〔昭和12年〕卒

経歴
昭和26年神戸でキリスト教に出会い、27年より村岡太三郎の主宰する無教会的な聖書研究会の大阪伝道所に通い、世話役となる。35年東京で“極東キリスト集会”を開き、信者との共同生活を開始、50年イエスの方舟と改称し、若い女性会員が増えていった。53年“娘を返せ”と迫る信者家族との対立を避けて東京を脱出、以後2年余り各地を転々とする。この集団失踪について、55年2月頃から話題となり、マスコミから“千石イエス”と呼ばれ、さらに警察も逮捕状を出すにいたった。同年7月心臓発作に倒れ、一同そろって世間に現れ、自分達の主張を訴えた。信者からは“おっちゃん”の愛称で慕われ、悩みを抱く信者の真剣な語り相手だったという。告訴は取り下げられ、書類送検されたが不起訴となる(イエスの方舟事件)。以降、博多に定着、中洲でクラブ・シオンの娘を経営する傍ら、キリスト教の集会を主宰。平成5年拠点となる教会を古賀市に建て、聖書研究会会員と一般市民らの人生相談を続けた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「千石剛賢」の解説

千石剛賢 せんごく-たけよし

1923-2001 昭和後期-平成時代の宗教家。
大正12年7月12日生まれ。昭和27年村岡太三郎主宰の聖書研究会大阪伝道所の世話役となる。35年東京で極東キリスト集会をひらく。信者との共同生活をはじめ,50年イエスの方舟(はこぶね)と改称。53年信者の家族との対立をさけ,各地を転々として千石イエスとよばれた。55年から博多でキリスト教集会を主宰。平成13年12月11日死去。78歳。兵庫県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「千石剛賢」の解説

千石 剛賢 (せんごく たけよし)

生年月日:1923年7月12日
昭和時代;平成時代の宗教家。イエスの方舟主宰
2001年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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