南富良野村(読み)みなみふらのむら

日本歴史地名大系 「南富良野村」の解説

南富良野村
みなみふらのむら

[現在地名]空知郡南富良野町字幾寅いくとら・字落合おちあい・字金山かなやま・字北落合きたおちあい・字下金山しもかなやま・字東鹿越ひがししかごえ

明治四一年(一九〇八)から昭和四二年(一九六七)まで存続した空知郡の村。明治四一年四月に下富良野村から分村して成立し、占冠しむかつぷ村も管轄する南富良野外一ヶ村戸長役場が設置された。同年の戸口は一千七九戸・三千一六七人(南富良野村史)。大正八年(一九一九)四月に二級町村制を施行、勇払ゆうふつ占冠村と組合役場を設置した。昭和七年占冠村との組合を解き、同四二年町制を施行した。村域は空知川の最上流部にあたり、石狩日高十勝の境界をなしており、古くから交通の要衝であった。一八五八年(安政五年)松浦武四郎は十勝越のため十勝岳山麓を通って空知川の最上流部のシノマンソラチに到達、分水嶺を越えて佐幌さほろ川に出て十勝に向かった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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