南広岡村(読み)みなみひろおかむら

日本歴史地名大系 「南広岡村」の解説

南広岡村
みなみひろおかむら

[現在地名]金沢市南広岡町・元菊町もとぎくちよう中橋町なかばしまち

三社さんじや村の西、金沢城下北西に接する。元禄一六年(一七〇三)の金沢町郷名詮議書上(国事雑抄)に「町続之村々」の一つとしてあげられるように、早くから村地の相対請

地化が進み、町場化していた。古くは北接する北広岡村と一村で広岡村(弘岡とも記す)と称し、広岡は平岡ひわおかが転じたともいう。

「源平盛衰記」巻二九(礪並山合戦事)によれば倶利伽羅峠の合戦に敗れ、敗走する平氏軍を追って、木曾義仲の軍勢は「加賀国平岳野の木立林」に陣を取った。「尊卑分脈」(藤原時長孫)には加賀斎藤系武士団林氏の庶流として、鎌倉初期頃の人物と推定される弘岡三郎利成(父は豊田五郎光成)、その子弘岡斎藤次重光・同小三郎利光がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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