南梅吉(読み)ミナミ ウメキチ

20世紀日本人名事典 「南梅吉」の解説

南 梅吉
ミナミ ウメキチ

大正・昭和期の部落解放運動家 全国水平社初代委員長。



生年
明治10(1877)年5月10日

没年
昭和22(1947)年10月24日

出生地
滋賀県蒲生郡桐原村(現・近江八幡市)

学歴〔年〕
小卒

経歴
京都市内の被差別部落商家丁稚奉公をし、のち竹皮草履の仲買業を手広く営んだ。青年団長や村議もつとめたりしたが、大正期に入って官憲の指導による部落改善運動が進められると、それに積極的に参加。しかし、やがて同情融和運動に批判的になり、大正11年全国水平社が結成されるとその初代中央執行委員長に就任した。その後労働者・農民階級闘争共闘を主張する一派と意見が対立して退会。昭和2年日本水平社を結成し執行委員長となるがほとんど成功せず、17年解党届を出した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「南梅吉」の意味・わかりやすい解説

南梅吉
みなみうめきち
(1877―1947)

大正・昭和期の社会運動家。明治10年5月10日、滋賀県の被差別部落に生まれ、京都府に住む。早くから部落改善運動に参加し、1922年(大正11)3月には全国水平社の初代中央執行委員長に就任したが、24年、警視庁スパイとの交際理由に罷免された。27年(昭和2)には共産主義排撃を唱えて日本水平社を結成したが不振に終わり、昭和22年10月24日死去した。有馬頼寧(ありまよりやす)や渋沢栄一(えいいち)から経済的援助を受けていたといわれる。

藤野 豊]

『木村京太郎著『水平社運動の思い出 上』(1968・部落問題研究所)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「南梅吉」の解説

南梅吉 みなみ-うめきち

1877-1947 大正-昭和時代前期の部落解放運動家。
明治10年5月10日生まれ。青年団長,村議をつとめ,部落改善運動をすすめる。大正11年全国水平社の初代委員長となるが,13年警視庁スパイとの親交を理由に罷免された。反共主義をとなえ,昭和2年日本水平社を結成したがふるわなかった。昭和22年10月24日死去。71歳。滋賀県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「南梅吉」の解説

南 梅吉 (みなみ うめきち)

生年月日:1877年5月10日
大正時代;昭和時代の部落解放運動家。全国水平社初代委員長
1947年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の南梅吉の言及

【水平社】より

西光万吉(さいこうまんきち)の起草した宣言(水平社宣言)は,水平社運動が人間の尊厳,自由・平等の理念にもとづいて一切の差別とたたかい,部落出身者だけでなくすべての人間の解放をめざすことを明らかにした。創立大会では南梅吉が委員長に選ばれたが,25年の第4回大会後は松本治一郎が長くその地位にあった。全国水平社の初期の運動は,部落差別の原因が人々の因襲的な観念にあると考え,これを打破するため,差別言動をおこなった団体・個人を徹底的に糾弾する方針をとった。…

※「南梅吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android