理論物理学者。東京生まれ、アメリカ国籍。1942年(昭和17)東京帝国大学理学部物理学科卒業。兵役に服したのち、東京大学の副手として研究生活に入り、やがて新設の大阪市立大学に移って、1950年教授。1952年アメリカに渡り、プリンストン高等研究所、ついでシカゴ大学の研究員を経て、1958年同大学教授、1971年より特任教授となった。この間、1970年にアメリカの市民権を取得している。1991年以降名誉教授。
研究活動の初期には、朝永振一郎(ともながしんいちろう)のくりこみ理論形成期に量子電磁力学の諸問題を扱い、大阪市立大の時期には、奇妙な粒子の対発生の考えを提唱、また素粒子の質量スペクトルの経験則(南部の法則)を与えた。渡米後は、分散理論による中間子物理学の解析を行い、核子の構造因子の研究に関連してω(オメガ)中間子の存在を推論した。1960年代、超伝導のBCS理論(Bardeen‐Cooper‐Scherieffer Theory)のゲージ不変性の研究から、素粒子の力学模型と対称性の自発的破れ、および南部‐ゴールドストン・ボソンの導入へと進み、弱い相互作用における擬ベクトルカレントの模型を提案して色(カラー)量子数を導入、量子色(いろ)力学の先駆となる。その後の研究は、内部構造をもつ素粒子の相対論的取扱いであり、いわゆる「ひも」の模型の形成である。多彩な研究と独創性によって知られ、第二次世界大戦後の理論物理学の目ざましい国際的発展を担った指導的メンバーの一人。1978年(昭和53)外国籍としては異例の文化勲章を受章。日本学士院会員。アメリカ科学アカデミーの会員でもあり、アメリカ国内のいくつかの賞のほか、国際的にもマックス・プランク・メダル(1985)、ディラック賞(1986)、ウルフ物理学賞(1994)等多くの賞を受けている。2008年(平成20)には、「対称性の自発的破れ」の仕組みを発見したことが評価され、ノーベル物理学賞を受賞した。
[藤村 淳]
『南部陽一郎、H・D・ポリツァー著、内田美恵他編訳『素粒子の宴』(1979・工作舎)』▽『南部陽一郎著『「素粒子」は粒子か?』(1986・仁科記念財団)』▽『南部陽一郎著『素粒子物理学の100年』(2000・国際高等研究所)』▽『南部陽一郎著、江沢洋編『素粒子論の発展』(2009・岩波書店)』▽『南部陽一郎著『クォーク――素粒子物理はどこまで進んできたか』第2版(講談社・ブルーバックス)』
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…実験的にもブルックヘブンやバークリーを中心としてハドロンの励起状態やその散乱振幅に関する大量のデータが蓄積され,S行列理論の一つの発展としてデュアル・レゾナンス・モデルのようなものが成立した。そして,その解釈として南部陽一郎らによって考えられたデュアル・ストリング・モデルは,ハドロンの構造に関してきわめて重要な暗示を含んでいた。つまりハドロンの中には何かひものような構造があるということである。…
…分散公式理論はその後解析関数,複素変数を用いる場の理論へと進展する。60年南部陽一郎(1921‐ )は真空が非対称になることがあることを見つけ,もともとの世界が対称であっても実際の世界が非対称になりうるという,対称性の自発的破れの理論を提唱した。この考えは電磁弱相互作用の理論で成功をおさめ,さらに大統一理論へと進む。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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