南部陽一郎(読み)ナンブヨウイチロウ

デジタル大辞泉 「南部陽一郎」の意味・読み・例文・類語

なんぶ‐よういちろう〔‐ヤウイチラウ〕【南部陽一郎】

[1921~2015]物理学者。東京の生まれ。昭和36年(1961)、自発的対称性の破れのしくみを発見素粒子物理学の基礎を築き、量子色力学の分野でも業績を残した。昭和53年(1978)、文化勲章受章。平成20年(2008)、ノーベル物理学賞受賞

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「南部陽一郎」の意味・わかりやすい解説

南部陽一郎
なんぶよういちろう
(1921―2015)

理論物理学者。東京生まれ、アメリカ国籍。1942年(昭和17)東京帝国大学理学部物理学科卒業。兵役に服したのち、東京大学の副手として研究生活に入り、やがて新設の大阪市立大学に移って、1950年教授。1952年アメリカに渡り、プリンストン高等研究所、ついでシカゴ大学の研究員を経て、1958年同大学教授、1971年より特任教授となった。この間、1970年にアメリカの市民権を取得している。1991年以降名誉教授。

 研究活動の初期には、朝永振一郎(ともながしんいちろう)のくりこみ理論形成期に量子電磁力学の諸問題を扱い、大阪市立大の時期には、奇妙な粒子の対発生の考えを提唱、また素粒子質量スペクトルの経験則(南部の法則)を与えた。渡米後は、分散理論による中間子物理学の解析を行い、核子の構造因子の研究に関連してω(オメガ)中間子の存在を推論した。1960年代、超伝導BCS理論(Bardeen‐Cooper‐Scherieffer Theory)のゲージ不変性の研究から、素粒子の力学模型と対称性の自発的破れ、および南部‐ゴールドストン・ボソンの導入へと進み、弱い相互作用における擬ベクトルカレントの模型を提案して色(カラー)量子数を導入、量子色(いろ)力学の先駆となる。その後の研究は、内部構造をもつ素粒子の相対論的取扱いであり、いわゆる「ひも」の模型の形成である。多彩な研究と独創性によって知られ、第二次世界大戦後の理論物理学の目ざましい国際的発展を担った指導的メンバーの一人。1978年(昭和53)外国籍としては異例の文化勲章を受章。日本学士院会員。アメリカ科学アカデミーの会員でもあり、アメリカ国内のいくつかの賞のほか、国際的にもマックスプランクメダル(1985)、ディラック賞(1986)、ウルフ物理学賞(1994)等多くの賞を受けている。2008年(平成20)には、「対称性の自発的破れ」の仕組みを発見したことが評価され、ノーベル物理学賞を受賞した。

[藤村 淳]

『南部陽一郎、H・D・ポリツァー著、内田美恵他編訳『素粒子の宴』(1979・工作舎)』『南部陽一郎著『「素粒子」は粒子か?』(1986・仁科記念財団)』『南部陽一郎著『素粒子物理学の100年』(2000・国際高等研究所)』『南部陽一郎著、江沢洋編『素粒子論の発展』(2009・岩波書店)』『南部陽一郎著『クォーク――素粒子物理はどこまで進んできたか』第2版(講談社・ブルーバックス)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南部陽一郎」の意味・わかりやすい解説

南部陽一郎
なんぶよういちろう

[生]1921.1.18. 東京,東京
[没]2015.7.5. 大阪
日本生まれのアメリカ合衆国の理論物理学者。シカゴ大学名誉教授。東京府に生まれ,福井県に育つ。旧制第一高等学校を経て 1942年に東京帝国大学理学部を卒業。陸軍の技術研究所に勤め,戦後東京大学に戻り,1950年大阪市立大学教授に就任。東京大学で朝永振一郎らの研究グループに接して素粒子物理学に目ざめた。1952年アメリカに渡り,1958年にシカゴ大学教授。1960年に「対称性の自発的破れ」(→自発的対称性の破れ)の理論を提唱,この理論はヒッグス機構,電弱相互作用の統一理論の基礎となり,さらに物性物理も含む広い範囲に使われる概念となっている。翌 1961年に左右の区別に関するカイラル対称性の破れについて言及,その後の質量の起源研究に大きな影響を与えた。1965年には三つの色になぞらえられる対称性をクォークがもつことを提唱,その後の量子色力学のさきがけとなった。そのほか,素粒子をひもとみる弦模型の理論を創始,今日の超弦理論の原点となるなど素粒子理論の基礎に大きく貢献した。1970年にアメリカ国籍を取得。1978年文化勲章,1985年マックス・プランク・メダル,1995年ウルフ賞など多くの賞・栄誉を受けた。2008年「素粒子物理における対称性の自発的破れのメカニズムの発見」でノーベル物理学賞を受賞。(→小林誠益川敏英

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百科事典マイペディア 「南部陽一郎」の意味・わかりやすい解説

南部陽一郎【なんぶよういちろう】

日本の物理学者。国籍は米国。理論物理学,素粒子論,場の理論の権威。東京都生れで福井市で育つ。1945年東京帝国大学物理学科卒業。1952年朝永振一郎の推薦でプリンストン高等研究所に赴任。1954年シカゴ大学核物理学研究所に移り研究に従事し,1970年米国籍を取得。自発的対称性の破れや弦(ひも)理論など,特に素粒子論の分野で独創的な見解を示し,後続世代に大きな影響を与えた。2008年ノーベル物理学賞を受賞。1978年文化勲章の他,1985年マックス・プランク・メダルなどさまざまな国際的な賞を受賞し功績を讃えられている。→ノーベル賞

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「南部陽一郎」の解説

南部陽一郎 なんぶ-よういちろう

1921-2015 昭和後期-平成時代の理論物理学者。
大正10年1月18日生まれ。昭和25年大阪市立大教授となる。27年渡米,33年シカゴ大教授。45年アメリカ国籍を取得。素粒子構造の理論的解明に寄与し,三色クォーク模型などを提唱した。53年文化勲章。平成17年ベンジャミン・フランクリン・メダル物理学賞。20年「素粒子物理学と核物理学における対称性の自発的破れの発見」でノーベル物理学賞。平成27年7月5日死去。94歳。福井県出身。東京帝大卒。著作に「クォーク―素粒子物理の最前線」など。

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世界大百科事典(旧版)内の南部陽一郎の言及

【素粒子物理学】より

…実験的にもブルックヘブンやバークリーを中心としてハドロンの励起状態やその散乱振幅に関する大量のデータが蓄積され,S行列理論の一つの発展としてデュアル・レゾナンス・モデルのようなものが成立した。そして,その解釈として南部陽一郎らによって考えられたデュアル・ストリング・モデルは,ハドロンの構造に関してきわめて重要な暗示を含んでいた。つまりハドロンの中には何かひものような構造があるということである。…

【場の量子論】より

…分散公式理論はその後解析関数,複素変数を用いる場の理論へと進展する。60年南部陽一郎(1921‐ )は真空が非対称になることがあることを見つけ,もともとの世界が対称であっても実際の世界が非対称になりうるという,対称性の自発的破れの理論を提唱した。この考えは電磁弱相互作用の理論で成功をおさめ,さらに大統一理論へと進む。…

※「南部陽一郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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