厚狭村(読み)あさむら

日本歴史地名大系 「厚狭村」の解説

厚狭村
あさむら

[現在地名]山陽町大字厚狭・大字かもしよう

厚狭盆地の北東部に位置し、北半分は中国山地に連なる高地。村のほぼ中央を厚狭川が南流し、その左岸に沿って北から平沼田ひらぬた赤川あかがわはら厚狭市あさいち右岸まつかもしようの集落がある。南部を山陽道が東西に通り、厚狭市はその市として開けた町。北は山中やまなか厚保あつ(現美祢市)、東は万倉まぐら西万倉にしまぐら(現楠町)南東逢坂あいさか(現楠町)、南西は末益すえますの各村と接する。末益村以外との境界は丘陵で、山陽道の逢坂村との境には西見にしみ峠がある。

和名抄」にある「厚狭郷」は、厚狭村と末益村辺りに比定されている。村内鴨ノ庄辺りは平安時代末には賀茂御祖かもみおや神社(現京都市左京区の下鴨神社)の社領であった(→厚狭庄。また村内松ヶ瀬について天正一七年(一五八九)の長門一宮住吉神社文書に「厚狭郡松ケ瀬村」とみえ、住吉神社(現下関市)の社領とされる。

慶長五年(一六〇〇)と同一五年の検地帳にはこの一帯を「鴨庄」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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