原古才村(読み)はらこさいむら

日本歴史地名大系 「原古才村」の解説

原古才村
はらこさいむら

[現在地名]岡山市高松原古才たかまつはらこさい

立田たづた村の南西に位置。村の中央を松山まつやま往来東西に抜ける。寛永一五年(一六三八)の花房領徳米目録(花房文書)に原小才村とあり、高三五五石余・徳米一八四石、所々御給残りとして高一三五石余・徳米六五石余とある。寛永備中国絵図では高八二三石余、旗本高松花房領。正保郷帳も同高、同領。元禄郷帳以後、原古才村の表記がみえる。ただ村名は正保四年(一六四七)の道筋并灘道舟路帳(池田家文庫)が高松村とし、「吉備の志多道」がもと原古才村であるが、高松の古城跡が近いせいか土人は高松と称し、古くは東高松とも称したと記すように一般に高松と称されることも多かったようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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