原田 東岷(読み)ハラダ トウミン

20世紀日本人名事典 「原田 東岷」の解説

原田 東岷
ハラダ トウミン

昭和・平成期の医師,平和運動家 原田病院名誉院長。



生年
明治45(1912)年2月14日

没年
平成11(1999)年6月25日

出生地
広島県広島市

学歴〔年〕
東京慈恵会医科大学〔昭和11年〕卒

主な受賞名〔年〕
広島市名誉市民〔平成1年〕,日本医師会最高優功賞〔平成5年〕

経歴
昭和13年から軍医として中国大陸を転戦し21年広島に帰る。同年11月外科病院を建て、被爆者の治療に携わる。30年には“原爆乙女”と呼ばれる顔にケロイドを残した若い女性25人と共に渡米、ノーマン・カズンズらと皮膚移植の先進地・米国での治療を実現させた。原爆医療法の制定にも中心的な役割を果たした。34〜38年広島市医師会長。ベトナム戦争のさ中には、ベトナム戦傷孤児救援広島委員会を結成し、42年単身ベトナムに。また広島平和文化財団理事や40年バーバラレイノルズと世界平和巡礼事業をはじめ、広島市にワールド・フレンドシップ・センターを開設、理事長に就任するなど平和運動でも活躍。日本ばら会理事、国際ライオンズクラブ名誉顧問などを歴任。医療の第一線を退いてからは“ヒロシマ”の名を冠した新種のバラを世界各地に贈る運動を続けた。著書に「ヒロシマの外科医回想」「ひろしまからの発信」「平和の瞬間二人のひろしまびと」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原田 東岷」の解説

原田東岷 はらだ-とうみん

1912-1999 昭和-平成時代の外科医。
明治45年2月14日生まれ。第二次大戦中は軍医として中国各地を転戦し,戦後郷里の広島市で開業原爆被爆者の治療,救済にあたり,昭和30年治療のため渡米する25人の「原爆乙女」に同行。「世界平和巡礼」を敢行するなど平和運動にもかかわった。平成元年広島市名誉市民。平成11年6月25日死去。87歳。東京慈恵医大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例