原駒子(読み)ハラ コマコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「原駒子」の解説

原 駒子
ハラ コマコ


職業
女優

本名
倉形 駒子

生年月日
明治43年 2月26日

出生地
神奈川県 横浜市翁町

経歴
小学校卒業後、松竹蒲田の俳優監督六車修の家に女中奉公、震災で京都に移り、そのまま下加茂の大部屋に入った。大正12年「落日の夢」でデビュー。同年帝キネ転社、14年3分裂で東邦映画。同年7月東亜キネマ等持院入社。宮島健一相手に「心中紅小袖」、光岡竜三郎と「嗚門秘帖」などに好演、看板女優に。昭和4年嵐寛寿郎が入り「鞍馬天狗」など多くの作品でコンビを組み大活躍。次いで羅門光三郎と組み、やがて結婚。その後羅門と富国映画社を創立したが解散、宝塚キネマに夫婦で入り10余本に出演。9年離婚、日活入社。第一映画を経て10年マキノトーキー「江戸噺鼠小僧」「白浪五人男」「女左膳」2部作などに大活躍。12年日活京都に復社、助演脇役が多く、松竹下加茂に移る。戦後東宝映画などに助演したが、25年引退した。

没年月日
昭和43年 12月28日 (1968年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「原駒子」の解説

原 駒子
ハラ コマコ

大正・昭和期の女優



生年
明治43(1910)年2月26日

没年
昭和43(1968)年12月28日

出生地
神奈川県横浜市翁町

本名
倉形 駒子

経歴
小学校卒業後、松竹蒲田の俳優監督六車修の家に女中奉公、震災で京都に移り、そのまま下加茂の大部屋に入った。大正12年「落日の夢」でデビュー。同年帝キネ転社、14年3分裂で東邦映画。同年7月東亜キネマ等持院入社。宮島健一相手に「心中紅小袖」、光岡竜三郎と「嗚門秘帖」などに好演、看板女優に。昭和4年嵐寛寿郎が入り「鞍馬天狗」など多くの作品でコンビを組み大活躍。次いで羅門光三郎と組み、やがて結婚。その後羅門と富国映画社を創立したが解散、宝塚キネマに夫婦で入り10余本に出演。9年離婚、日活入社。第一映画を経て10年マキノトーキー「江戸噺鼠小僧」「白浪五人男」「女左膳」2部作などに大活躍。12年日活京都に復社、助演・脇役が多く、松竹下加茂に移る。戦後東宝映画などに助演したが、25年引退した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原駒子」の解説

原駒子 はら-こまこ

1910-1968 大正-昭和時代の映画女優
明治43年2月26日生まれ。大正13年「落日の夢」でデビュー。東亜キネマなどの時代劇で活躍し,昭和25年「乱れ星荒神山」を最後に引退。妖婦や毒婦役が得意で姐御(あねご)女優とよばれた。代表作は「鳴門秘帖」「女左膳」など。昭和43年12月28日死去。58歳。神奈川県出身。本名は倉形駒子。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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