出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
第35代横綱力士。本名穐吉(あきよし)定次。明治45年2月9日大分県天津(あまつ)村(現宇佐市)に生まれる。1927年(昭和2)立浪(たつなみ)部屋に入門、1932年1月春秋園事件で大量脱退力士をみたので、十両から特進入幕した。1936年5月関脇(せきわけ)に昇進してから、にわかに強豪ぶりを発揮し、前人未踏の69連勝の大記録を樹立した。70連勝がならず安芸ノ海(あきのうみ)の外掛けに敗れた日(1939年春場所4日目)は、全国の話題をさらった。その間1937年1月大関、同年5月には全勝3連覇で横綱に推挙された。178センチメートル、124キログラムの均整のとれた体格で、右差し左上手(うわて)をとっての投げは無類の強さで、双葉山の姿を一目見ようと、ファンは前夜から国技館の周囲を取り巻くという、双葉山時代を招来した。暗い世相において長く沈滞した相撲(すもう)界を復興させた功績は大きい。幕内成績276勝68敗1引分け、優勝12回(全勝8回)の記録を残した。現役のころから双葉山道場を創設して弟子の養成に努め、1945年(昭和20)11月引退、1946年時津風を襲名し、一代で大部屋に発展させ、横綱鏡里(かがみさと)をはじめ二十数人の幕内力士を輩出した。1957年日本相撲協会理事長に就任し、相撲界の近代化に貢献した。従(じゅ)四位勲三等が贈られた。昭和43年12月16日没。
[池田雅雄]
昭和期の力士。第35代横綱。本名龝吉(あきよし)定次。大分県宇佐市に生まれ,1927年,15歳で立浪部屋に入門。32年入幕,36年5月関脇に昇進してから強さを発揮し,39年1月安芸ノ海に敗れるまで69連勝の大記録を樹立し,双葉山時代といわれた。その間37年1月大関,同年5月全勝3連覇で横綱に推挙された。178cm,124kgの均整のとれた体格で,力水は1度だけ,いつも受けて立ち,左上手をとれば負けたことはなかった。優勝12回(全勝8回)。1945年引退して,年寄時津風になり,多くの弟子を養成。相撲協会理事長として改革に功績が大きかった。
執筆者:池田 雅雄
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