反ユダヤ主義(読み)はんユダヤしゅぎ(英語表記)anti-Semitism

翻訳|anti-Semitism

改訂新版 世界大百科事典 「反ユダヤ主義」の意味・わかりやすい解説

反ユダヤ主義 (はんユダヤしゅぎ)
anti-Semitism

ユダヤ教徒およびユダヤ人への敵意,憎悪,迫害,偏見を意味する語。反ユダヤ主義は,古くは聖書時代からみられるが,19世紀になって,アンチ・セミティズムという語が暗示しているように,人種説に基づく新しい反ユダヤ主義が出現した。ここに,反ユダヤ主義は,従来の宗教を主因とする伝統的な反ユダヤ主義と新たな人種説に基づく反ユダヤ主義(狭義のアンチ・セミティズム)とに区別されうる。

 旧約聖書の《エステル記》に,離散したユダヤ人(ディアスポラ)に対する敵意に満ちた反ユダヤ的態度がすでに記述されている。ヘレニズム・ローマ時代には,ユダヤ教徒とギリシア・ローマ人との摩擦は,主として一神教多神教の間の宗教文化の相違に基づいていた。しかし,ヘレニスト諸王のユダヤ教徒に対する寛大さに支えられて,離散ユダヤ教徒の地理的拡大と人口増加がみられた。ただ彼らは,独自の信仰と習慣に固執して,他民族から隔離した強力な地域社会組織をつくりあげていたので,周囲に恐怖感と反感を呼び起こしていた。38年に,アレクサンドリアで反ユダヤ暴動が発生している。一方,前63年,ポンペイウスに占領されたエルサレムでは,ローマ支配への抵抗がつづいたが,135年バル・コホバの反乱を最後に,ユダヤ教徒はエルサレムから追放され,すべて離散ユダヤ教徒となった。

 初期キリスト教の反対者としてのユダヤ教徒に対する反ユダヤ主義は,キリスト教の伝播とともに広がっていった。4世紀,キリスト教がローマの国教となり,ユダヤ教徒とキリスト教徒の間の婚姻が禁止されるなど,ユダヤ教徒の法的・社会的地位が低下した。6世紀には,ユダヤ教徒が公的地位に就くことやキリスト教徒の奴隷の所有などの禁止はユダヤ教徒の経済に破滅的な打撃を与えた。さらに,ユダヤ教徒は,改宗か追放かの選択を迫られたのである。ただ,この時代の反ユダヤ主義というのは,むしろ両宗教間に障壁を築いて,ユダヤの影響からキリスト教を守ろうとするものであった。

 中世になると,十字軍の暴虐に象徴されるように,キリスト教会のもつ影響力が浸透するに伴い反ユダヤ主義も新たな局面を迎えた。教会からの改宗強要は,選民意識とメシア思想をもつユダヤ教徒の受容するところではなく,かえって,イスラエルの民としての結束を強化した。不信仰者として,4世紀にすでに〈キリスト殺し〉の烙印を押されていたユダヤ教徒は,キリスト教徒の敵とみなされ,ユダヤ教徒迫害はイエスの伝説的敵への復讐だと意味づけられた。こうして,ユダヤ教徒とキリスト教社会との亀裂は深化した。当時,民衆の間に広まった〈受難劇〉は反ユダヤ感情を培養した。この傾向は,1215年のラテラノ公会議でのユダヤ教徒識別のマーク(バッジ,帽子など)の着用命令によって決定づけられた。ユダヤ教徒バッジは,ユダヤ教徒は尾や角,特有のにおい,すなわち悪魔の特徴を備えて肉体的にも異なったものだという伝説を広めるのに役だった。こうした宗教的理由に加えて,社会的圧迫の結果ユダヤ教徒に残された数少ない職業となった高利貸業は,民衆の経済的呪いともなり,また,キリスト教徒とユダヤ教徒の経済的競合関係のもとでは競争相手を排除する武器として,反ユダヤ主義が使われた。ユダヤ教徒は過越祭の祭儀のために幼児を殺害するという〈血の中傷〉(1144年のイギリスでの例など),聖体汚辱の告発(1243年のドイツでの例など),黒死病(ペスト)流行はキリスト教破壊のためのユダヤ教徒の毒投入によるのだという陰謀説,モンゴル軍襲来時の敵への通謀説,それからユダヤ教徒は先天的に貪欲で裏切者であるという不信などこうした非難によって中世以後20世紀にいたるまで,各地でユダヤ教徒の虐殺,迫害,国外追放が繰り返された。

 民衆の不満がうっせきしたとき,ユダヤ教徒は目につきやすくて無防備の少数民であるがゆえに,民衆の怒りが投げつけられる理想的な標的となった。ユダヤ教徒が攻撃対象にならねばならない固有の理由はない。歴史的諸要素の組合せがユダヤ教徒を標的にしたにすぎない。反ユダヤ主義というのは,真の問題点を隠し,民衆のフラストレーションにはけ口を与えるという社会的機能をもっている。

 18世紀,啓蒙思想とフランス革命の影響のもとにユダヤ教徒の解放が進んだ。アメリカ(1776),フランス(1791)をはじめ各国でユダヤ教徒に対等な市民権を与え,法的・宗教的規制から解放したのである。この解放は,文化全般にわたるユダヤ教徒の同化をもたらした。産業革命以後の資本主義化,工業化によって,ユダヤ教徒は新しい経済的地位への機会を与えられるとともに,競合関係にある中間階級の反感と新興のユダヤ大資本への民衆の反発を招き寄せた。こうした反感と民族国家のナショナリズムの興隆が結びついて,ナチスなどの〈人種理論〉に基づく反ユダヤ主義への道を開いたのである。
ユダヤ人
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百科事典マイペディア 「反ユダヤ主義」の意味・わかりやすい解説

反ユダヤ主義【はんユダヤしゅぎ】

反セム主義(アンチ・セミティズム)ともいう。宗教的・経済的・人種的理由からユダヤ人を差別・排斥しようとする考え方。古くから存在するが,とくに中世キリスト教社会において,12―13世紀のラテラノ公会議でユダヤ教徒の衣服と居住区(ゲットー)が決められるなど,〈内なる敵〉として差別が進んだ。ロシアのポグロムなど,ユダヤ人への大衆の直接的暴力も繰り返された。19世紀になると,ゴビノーJ.A.Gobineau,チェンバレンH.S.Chamberlainに代表される,ユダヤ人を生物学的に劣ったセム人種とする考え方(反セム主義)を生み,ドイツ,オーストリアなどでは政治運動の一要素にまでなった。特にナチスはこの主義を掲げ,第2次大戦中数百万のユダヤ人を殺した。→強制収容所
→関連項目ゲッベルスナチズムネオ・ナチズムヒトラーわが闘争

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「反ユダヤ主義」の解説

反ユダヤ主義(はんユダヤしゅぎ)
anti-Semitism[英],Antisemitismus[ドイツ]

ユダヤ教徒ないしユダヤ人を差別,圧迫,迫害しようとする思想および運動。反ユダヤ主義の歴史はキリスト教とともに古く,ユダヤ教徒迫害は中世ヨーロッパにもしばしばみられた(十字軍の時代,また黒死病流行の際のユダヤ人虐殺)。18世紀には啓蒙思想からユダヤ人に対する寛容も説かれたが,次の世紀には逆に新しい人種主義的反ユダヤ主義が生まれた。19世紀,とりわけ最後の四半世紀を覆った大不況以降,ユダヤ人を生物学的人種の通俗観念でとらえるようになった新たな反ユダヤ主義が登場した。これはそれまでのキリスト教の伝統的な反ユダヤ主義(「キリスト殺しの民」を許すな!)と区別されて,W.マルによって反セム主義と命名された。それはフランス革命以後進捗したユダヤ人解放や同化の過程を逆転させ,ユダヤ人問題の「最終的解決」をユダヤ人排斥や隔離にとどまらせず,ユダヤ人絶滅にまで導く狂信的憎悪・敵愾心をはびこらせるに至った。産業社会の矛盾や都市文化の退廃,近代政治社会のあらゆる否定的な現象を体現し,その原因をつくり出す悪そのものとして責任をユダヤ人に転嫁し,絶滅政策まで可能にさせる妄想やユダヤ陰謀論が醸成されたのは,反ユダヤ主義にリアリティを与える深刻な社会的危機が背景にあってのことで,ドイツのナチズムはまさに危機に依存しそれを存分に利用した運動であった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「反ユダヤ主義」の意味・わかりやすい解説

反ユダヤ主義
はんゆだやしゅぎ

ユダヤ人に対する差別主義、とくに集団的・組織的迫害行動のこと。原語はanti-Semitismであるが、Semiteとはこの場合、セム人に属するユダヤ人をさしている。この語自体は比較的新しく、1879年、ユダヤ人との宗教的対立以上に民族的・社会経済的敵対性を強調するために、ウィルヘルム・マルが用いて以来広まったが、迫害行動そのものは、「ディアスポラ」(ユダヤ人の離散)以来さまざまな形で行われ、ヨーロッパ各地において、いわゆるユダヤ人問題を引き起こしてきた。

[田北亮介]

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世界大百科事典(旧版)内の反ユダヤ主義の言及

【アンチ・セミティズム】より

…字義どおりには反セム人主義であるが,一般にはひろく反ユダヤ主義の意味で用いられ,またとくに19世紀末以降ドイツ,フランスなどユダヤ教徒解放が一応完了した諸国に起こり,中世以来の伝統的なユダヤ教徒差別とは性格を異にする近代反ユダヤ主義をさすことも多い。18世紀末までのヨーロッパでは,ユダヤ人とはもっぱらユダヤ教徒のことであり,ユダヤ教団への所属によって規定される身分であった。…

【ヒトラー】より

…21年党首に就任し,党指導の全権を掌握する。ベルサイユ条約の廃棄,激烈な反ユダヤ主義を唱えて注目をひく。23年11月ミュンヘン一揆を企てて失敗,党は解散され,自身は禁固刑に処せられる。…

【ユダヤ人】より

…ところが19世紀末にいたってこの〈ユダヤ人〉規定をくつがえし,これをもっぱら出生すなわち血に基づく〈人種〉集団としてみようとする考え方が現れた。直接には1870年代の大不況の影響のもとで没落の危機感にとらえられた中部ヨーロッパの中間層の間で,資本主義社会の矛盾をあげて〈ユダヤ人〉=セム人に帰そうとする反ユダヤ主義者のこの主張は強い吸引力を発揮し,とくにドイツ,オーストリア,フランスでこの人種論的反ユダヤ主義(アンチ・セミティズム)は急速な広がりをみせた。ここにユダヤ教徒であるかどうかとは無関係におよそひとたびその血をうけた者は,信仰のいかんにかかわらずつねに〈ユダヤ人〉であり続けるという観念が成立したのである。…

※「反ユダヤ主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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