古山高麗雄(読み)フルヤマコマオ

デジタル大辞泉 「古山高麗雄」の意味・読み・例文・類語

ふるやま‐こまお〔‐こまを〕【古山高麗雄】

[1920~2002]小説家朝鮮の生まれ。戦後編集者を務めながら短編「墓地で」でデビュー戦争体験に基づく「プレオー8の夜明け」で芥川賞受賞。他に「小さな市街図」「セミの追憶」など。

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20世紀日本人名事典 「古山高麗雄」の解説

古山 高麗雄
フルヤマ コマオ

昭和・平成期の小説家 元・「季刊芸術」編集長。



生年
大正9(1920)年8月6日

没年
平成14(2002)年3月14日

出生地
旧朝鮮・新義州

学歴〔年〕
三高〔昭和16年〕中退

主な受賞名〔年〕
芥川賞(第63回)〔昭和45年〕「プレオー8の夜明け」,芸術選奨文部大臣新人賞(文学評論部門 第23回)〔昭和47年〕「小さな市街図」,川端康成文学賞(第21回)〔平成6年〕「セミ追憶」,菊池寛賞(第48回)〔平成12年〕

経歴
昭和17年召集され東南アジア転戦ラオス終戦を迎え、戦犯として収監される。22年復員。25年河出書房に入社、以後編集者として会社を転々とし、42年「季刊芸術」の編集長となる。一方、自ら小説を書き始め、44年短編「墓地で」でデビュー。翌45年サイゴン戦犯収容所での経験を書いた第2作「プレオー8の夜明け」で芥川賞を受賞、50歳の新人作家として話題を呼んだ。主に戦争の無残さ、むなしさをテーマに小説を書き続け、引き揚げ体験を描いた「小さな市街図」で芸術選奨文部大臣新人賞、「セミの追憶」で川端康成文学賞、中国大陸での激戦を描いた「断作戦」「龍陵会戦」「フーコン戦記」の長編3部作で菊池寛賞を受賞した。ほかの代表作に「湯タンポにビール入れて」「点鬼簿」「螢の宿」「身世打鈴」「二十三の戦争短編小説」「私がヒッピーだったころ」「半ちく半助捕物ばなし」、エッセイ集「反時代的、反教養的、反叙情的」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「古山高麗雄」の意味・わかりやすい解説

古山高麗雄
ふるやまこまお
(1920―2002)

小説家。朝鮮新義州生まれ。旧制三高中退。第二次世界大戦中は一兵卒として転戦。戦後は編集者となったが、その間、1969年(昭和44)短編『墓地で』でデビューし、翌年には戦争体験を素材にした『プレオー8(ユイット)の夜明け』で芥川(あくたがわ)賞を受賞した。苦いユーモアとさりげない平常心に潜む虚無を、平明な文体でつづる作品が多い。『小さな市街図』(1972。芸術選奨新人賞)、『点鬼簿』(1979)、『蛍の宿』(1980)などに、その面目がうかがえる。その後、『日本好戦詩集』(1979)を発表、そして『断作戦』(1982)、『龍陵(りゅうりょう)会戦』(1985)、『フーコン戦記』(1999)は、著者の過酷な戦争体験をもとにして、戦争に巻き込まれた人々への鎮魂の思いをつづった、渾身(こんしん)の三部作で、2000年(平成12)の菊池寛(かん)賞受賞作となった。ほかに『岸田国士(くにお)と私』(1976)、『セミの追憶』(1994。川端康成文学賞)などがある。

[金子昌夫]

『『小さな市街図』(1972・河出書房新社)』『『断作戦』(1982・文芸春秋)』『『龍陵会戦』(1985・文芸春秋)』『『セミの追憶』(1994・新潮社)』『『フーコン戦記』(1999・文芸春秋)』『『二十三の戦争短編小説』(2001・文芸春秋)』『『プレオー8の夜明け 古山高麗雄作品選』(講談社文芸文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「古山高麗雄」の意味・わかりやすい解説

古山高麗雄
ふるやまこまお

[生]1920.8.6. 朝鮮,新義州
[没]2002.3.11. 神奈川,相模原
作家。裕福な医者の家に生まれ,独特な強い我の持ち主として育つ。第2次世界大戦中の 1942年に召集され,アジア各国を転戦したが虚弱なためしばしば行軍で脱落した。この戦争体験から厭世観にとらわれ,小説を書くことで自己を回復していった。ベトナムのサイゴン戦犯刑務所雑居房での猥雑な生活を淡々と描いた『プレオー 8(ユイット)の夜明け』(1970芥川賞)以後,一種独特の軽みのある文体で,澄んだ清潔な世界を造形した。『小さな市街図』(1972)では故郷を再現し,『点鬼簿』(1979),『身世打鈴(シンセターリョン)』(1980)の私小説では妹の死から始まり南方からの引き揚げで終わる最もつらい時期を描き,『蛍の宿』(1980)から『妻の部屋――遺作十二篇』(2002)まででは壊れかけた家庭が最後まで壊れず,不思議な調和をみせて完結するまでを描いた。『断作戦』(1982),『龍陵会戦』(1985),『フーコン戦記』(1999)は戦争文学三部作で,2000年に菊池寛賞を受賞した。

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百科事典マイペディア 「古山高麗雄」の意味・わかりやすい解説

古山高麗雄【ふるやまこまお】

小説家。朝鮮新義州生れ。旧制三高中退。1942年召集を受け,ラオスで終戦を迎える。以後編集者となり,1967年《季刊芸術》編集長。《墓地で》《白い田圃》を経て,サイゴンの戦犯刑務所雑居房の生活を描いた《プレオー8(ユイット)の夜明け》(1970年)で芥川賞,《小さな市街図》(1972年)で芸術選奨新人賞受賞。戦争ものと市井ものの2系列があるが,いずれも内面の倫理性を保持する強靭さと優しさが,軽妙な筆致で描かれている。他に《湯タンポにビールを入れて》《フーコン戦記》など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「古山高麗雄」の解説

古山高麗雄 ふるやま-こまお

1920-2002 昭和後期-平成時代の小説家。
大正9年8月6日朝鮮新義州生まれ。昭和17年応召,ラオスで終戦をむかえ戦犯容疑にとわれる。22年復員し,編集者となる。45年戦争体験にもとづく「プレオー8(ユイツト)の夜明け」で芥川賞。48年「小さな市街図」で芸術選奨新人賞。平成6年「セミの追憶」で川端康成文学賞。日常にひそむユーモアと虚無をえがく独自の作風で知られた。平成14年3月14日自宅で死去しているのを長女に発見された。11日ごろ死去。81歳。第三高等学校中退。

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367日誕生日大事典 「古山高麗雄」の解説

古山 高麗雄 (ふるやま こまお)

生年月日:1920年8月6日
昭和時代;平成時代の小説家
2002年没

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