古橋庄(読み)ふるはしのしよう

日本歴史地名大系 「古橋庄」の解説

古橋庄
ふるはしのしよう

現巣南町古橋一帯に散在したとみられる庄園。建長二年(一二五〇)一一月日の九条道家初度処分状(九条家文書)によれば、道家は佐々木女房から伝領した古橋庄を子の一条実経に譲っている。「勘仲記」弘安六年(一二八三)一〇月九日条によれば、これ以前に安嘉門院(邦子内親王)領になっており、同女院五七日の曼荼羅供用途として当庄に二貫五〇〇文が割当てられている。こののち後宇多院領を経て昭慶門院に譲られ、嘉元四年(一三〇六)六月一二日の昭慶門院領目録(京都大学蔵古文書集)に庁分として古橋庄南北の名がみえ、中村小大納言典侍の知行下に置かれていた。正和二年(一三一三)には、東宮尊治親王令旨(白河本東寺百合文書)によって藤原冬綱が播磨国矢野やの庄例名預所職を召放たれ、その替地として古橋庄北方を与えられたが、冬綱はこれを不服として返進している(年月日未詳「藤原冬綱事書案」東寺百合文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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