合場村(読み)あいばむら

日本歴史地名大系 「合場村」の解説

合場村
あいばむら

[現在地名]天理市合場町

岩室いわむろ村・吉田よしだ村の間に所在。貞和三年(一三四七)の興福寺造営段米并田数帳(春日神社文書)に「愛波庄」とあり、西大寺田園目録に「山辺郡十二条三里十坪内一段自南七段目。井トタウ。字アイハ。ヲヽクラ田」「十二条二里卅五坪内一段東辺。字アイハノマヘ」とある条里は当村に該当。また「多聞院日記」に興福寺一乗院領合場庄がみえる。

慶長郷帳には「阿波村」とあり、村高三七四・六五石。近世を通じて旗本山口氏(直友系)領。元和郷帳には「相場村」と記す。寛政一一年(一七九九)の合場村村鑑明細帳(天理図書館文書)では、毛付段別二三町九段四畝余のうち五町二段五畝余が常習の水損地(裏作麦約二―三割)、一七町九段余が旱魃地(綿作地約四割、稲作地約六割)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報