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吉村順三
よしむらじゅんぞう
(1908―1997)
建築家。東京生まれ。東京美術学校(現東京芸術大)建築学科卒業後、レイモンド建築設計事務所に勤める。渡米後1943年(昭和18)に設計事務所を開設。45年東京美術学校助教授、52年東京芸術大学教授。70年退官し名誉教授となる。初め東京のNCRビル(1963)や「浜田山の家」(1964)などの住宅作品で知られ、皇居新宮殿の基本設計(1963)にもあたる。人間味ある温かい作風で、おもな作品に愛知県立芸術大学(1971)、ニューヨークのジャパン・ハウス(1972)、奈良国立博物館新館(1973)などがある。74年日本芸術院賞を受賞。94年(平成6)文化功労者。
[天田起雄]
『『吉村順三作品集』(1978・新建築社)』▽『『吉村順三設計図集』(1979・新建築社)』▽『吉村順三・宮脇檀著『吉村順三のディテール』(1979・彰国社)』
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吉村順三【よしむらじゅんぞう】
建築家。東京本所の呉服商の家に生まれる。1931年東京美術学校建築科卒。在学中よりA.レーモンドの事務所に勤務。1941年吉村設計事務所設立。1945年東京芸大助教授,1962年―1970年同教授。住宅設計を中心として,生活に根差した視点から独自の空間を生み出した。代表作に〈国際文化会館住宅〉(東京,1955年),自邸〈南台町の家〉(東京,1957年),〈軽井沢の山荘〉(1962年),〈ポカンティコヒルの家〉(ニューヨーク,1974年)のほか,八ヶ岳高原音楽堂(長野,1988年)などがある。
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吉村順三 よしむら-じゅんぞう
1908-1997 昭和-平成時代の建築家。
明治41年9月7日生まれ。アントニン=レーモンドにまなび,昭和16年吉村順三設計事務所をひらく。37年東京芸大教授となる。31年国際文化会館(共同設計)で建築学会賞。50年奈良国立博物館で芸術院賞。平成6年文化功労者。平成9年4月11日死去。88歳。東京出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。作品はほかに愛知県立芸大,ニューヨークのジャパンハウスなど。
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