吉津庄(読み)よしづのしよう

日本歴史地名大系 「吉津庄」の解説

吉津庄
よしづのしよう

旧福山城下の北を限る山麓一帯に吉津・木之庄きのしよう本庄ほんじようなどの地名があって、吉津庄の遺名と考えられている。正安三年(一三〇一)九月一一日付主殿頭宛の前勘解由次官頼経奉書(壬生家文書)に「備後国吉津庄、貞応以後新立庄候、件宣旨官符所見候者、可被注進之由、内々被仰下候也」とある。

その後正平八年(一三五三)一一月二四日の足利直冬寄進状(阿弥陀寺文書)に「寄付 周防国阿弥陀寺 備後国吉津庄内木庄事 為天下静謐祈祷所寄也」とみえ、当庄内木庄きのしようが足利直冬によって阿弥陀あみだ(現山口県防府市)に寄進されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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