吉田宗恂(読み)よしだ・そうじゅん

朝日日本歴史人物事典 「吉田宗恂」の解説

吉田宗恂

没年:慶長15.4.17(1610.6.8)
生年永禄1(1558)
安土桃山時代の医者。宗桂の次男で医業を継ぎ,兄の角倉了以 は土倉業を継いだ。初名は光政,孫次郎,号は又玄子。はじめ豊臣秀次に仕え,後陽成天皇の病気に献薬して奏効し,襲称していた意庵を勅によって意安と改め,法印に叙せられた。のち徳川家康に召され,隔年東下して家康の好んだ本草研究にも協力した。博識の人として知られ,南蛮船によって珊瑚枝がもたらされたときも,侍医のうち宗恂だけが名称,産地,採取法を答え,これを称賛した家康がその1枝を与えたと伝えられる。また家康の命で紫雪(鉱物多味配合薬)を作り,諸侍医もこれにならった。京都で没し,嵯峨二尊院に葬られた。<著作>『歴代名医伝略』『本草序例抄』<参考文献>京都府医師会編『京都の医学史

(宗田一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田宗恂」の解説

吉田宗恂 よしだ-そうじゅん

1558-1610 織豊-江戸時代前期の医師。
永禄(えいろく)元年生まれ。吉田宗桂(そうけい)の次男。角倉了以(すみのくら-りょうい)の弟。豊臣秀次(ひでつぐ)につかえ,後陽成天皇の病気を治療して法印となる。のち徳川家康につかえ,本草研究の顧問をつとめた。慶長15年4月17日死去。53歳。京都出身。名は光政,孫次郎。通称は意庵,意安。号は又玄子。著作に「本草序例抄」など。

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