吉田益三(読み)ヨシダ マスゾウ

20世紀日本人名事典 「吉田益三」の解説

吉田 益三
ヨシダ マスゾウ

昭和期の国家主義運動家



生年
明治28(1895)年8月21日

没年
昭和42(1967)年2月11日

出生地
長崎県

学歴〔年〕
関西学院中退

経歴
大正11年大阪に出て内田良平の黒龍会に入り、大阪支部長。昭和6年大日本生産党を結成労働組合の組織化を図り、12年党総務委員長となる。2・26事件後、時局協議会を結成し、インド独立支援同盟、戦時体制強化連盟に参加するなど、対外強硬の運動を推進した。17年生産党を解消し、大日本一新会総裁となる。戦後公職追放され、解除後は「防衛新日本新聞」を創刊。恩給復活促進連盟、戦友会を結成し、紀元節復活運動に参加した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田益三」の解説

吉田益三 よしだ-ますぞう

1895-1967 昭和時代国家主義者
明治28年8月21日生まれ。内田良平の黒竜会にはいり,関西本部長。昭和6年大日本生産党の結成にくわわり,のち党総務委員長,総裁となる。戦後,恩給復活促進連盟,戦友会などを結成。昭和42年2月11日死去。71歳。長崎県出身。関西大中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「吉田益三」の解説

吉田 益三 (よしだ ますぞう)

生年月日:1895年8月21日
昭和時代の国家主義者
1967年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の吉田益三の言及

【大日本生産党】より

…〈大日本主義に立脚して従来分散状態にあった右翼団体の大同団結をはかり強大な勢力を結集して昭和維新の断行を期す〉ことを目的として,黒竜会関西支部を中心に1931年に結成されたファッショ的団体。黒竜会関西支部長であった吉田益三は,内田良平らの意を体し,1930年7月,大日本生産党創立準備会発起人大会を催し,翌31年6月28日結成された。内田良平によれば同党結党の理由は,〈民族固有の精神〉に基づく〈国民一致の大活動〉の必要,生産界の振興,〈政弊の刷新〉などにあった。…

※「吉田益三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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