吉美庄(読み)きびのしよう

日本歴史地名大系 「吉美庄」の解説

吉美庄
きびのしよう

現湖西市南部から現新居あらい町一帯に比定される摂関家領庄園。庄域は北を吉美、東は鷲津わしづ、西は笠子かさご、南は内山うちやま(現新居町)を含む地域に相当する。笠子は白須賀しらすかの通称名に現存する。年未詳一〇月一七日の大江周房書状(民経記寛喜三年紙背文書)によると、吉美庄への造寺料納入を命ずる政所下文を早く発給するよう新藤中納言(藤原頼資)に伝えている。

吉美庄
きみのしよう

吉見庄・貴美庄とも記す。古代の吉美郷(和名抄)に立荘されたと考えられる荘園で、近世幾見きみ郷とよぶ地域であろうと思われる。「蔭涼軒日録」文明一八年(一四八六)一月一九日条には「吉美東西荘」とも書かれ、寛正二年(一四六一)の何鹿郡所領注文(安国寺文書)にも「吉美東西」とある。おそらくじよう山を境として東西の谷をさしたものであろう。

荘名の初見は永仁六年(一二九八)に作られた西大寺田園目録(西大寺文書)で「丹波国吉美庄」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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