20世紀日本人名事典 「向井 潤吉」の解説
向井 潤吉
ムカイ ジュンキチ
大正〜平成期の洋画家
- 生年
- 明治34(1901)年11月30日
- 没年
- 平成7(1995)年11月14日
- 出生地
- 京都府京都市下京区仏光寺通柳馬西入東前町
- 別名
- 雅号=丹痴亭(タンチテイ)
- 学歴〔年〕
- 京都市立美術工芸学校〔大正5年〕中退,関西美術院卒
- 主な受賞名〔年〕
- 樗牛賞〔昭和5年〕,昭和洋画奨励賞〔昭和15年〕,世田谷区名誉区民〔昭和57年〕
- 経歴
- 宮大工の家に生まれる。関西美術院、川端画学校に学ぶ。大正8年18歳で「室隅にて」が二科展初入選。昭和2〜34年滞仏、ルーブル美術館で模写に専念し、帰国後二科会に所属。昭和12年、従軍画家として参戦以来の念願かない、中国の著名な石仏「大同の石仏」を制作。終戦直後、二科再建への参加を拒否し、行動美術協会の創立に参加。生活に密着した写実性により日本の民家を描き続けて世相風俗を追求する一方、挿絵画家としても活躍。平成5年300余点の作品と世田谷区の自宅兼アトリエを区に寄贈した。作品に「雨」「筑後柳川の春」「雨後杏花」「農村風景」「遅れる春の丘より」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報