呉屋村(読み)ぐやむら

日本歴史地名大系 「呉屋村」の解説

呉屋村
ぐやむら

[現在地名]西原呉屋ごや

津花波ちふあぬふあ村の西にあり、北・西は翁長うなが村。北に耕地が広がる。首里・浦添うらしー間切・中城なかぐしく間切への交通の要衝にある。絵図郷村帳に「ごりや村」とみえる。琉球国高究帳では娯屋村とあり、高頭九四石余、うち田八五石余(うち永代荒地二〇石余)・畠八石余。「琉球国由来記」にはいーノ嶽・呉屋ぐやノ火神の二拝所、祭祀場として呉屋根川・呉屋之殿が記載され、小波津ノロが祭祀を管轄した。「球陽」尚敬王三二年(一七四四)条によると、西原にしばる間切は疲弊していたが、当村のみそうではなかった。その理由の一つは、呉屋掟親雲上ほか五名の村長は住民を率いて国法に則して風俗を改め農事に励むとともに、二年間で米五石八斗を蓄えた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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