周参見庄(読み)すさみのしよう

日本歴史地名大系 「周参見庄」の解説

周参見庄
すさみのしよう

周参見辺りを中心とし、周参見湾に流れ込む周参見・太間たいま両川の流域一帯に比定される。立荘の時期は不詳であるが、天福元年(一二三三)九月一二日付為清田畠下人去文(小山文書)に荘名がみえ、為清なる者が、当庄および安宅あたぎ(現日置川町)内の先祖より受継いだ田畠と下人を「而為清不二(陥カ)於無極病悩、労来苦痛無限之間、指不便と申、無親故、況弟子息所、庄司四郎殿不便とシテ、養育干病セラルヽカ故ニ養眷ヲ以奉公上、件田畠下人等、限永代流畢」と、荘司の四郎(小山氏か)に譲渡したことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報