味摩之(読み)ミマシ

デジタル大辞泉 「味摩之」の意味・読み・例文・類語

みまし【味摩之】

飛鳥あすか時代、日本伎楽を伝えたとされる百済くだらの人。推古天皇20年(612)に渡来し、大和桜井少年たちに伎楽を教えたという。生没年未詳。

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改訂新版 世界大百科事典 「味摩之」の意味・わかりやすい解説

味摩之 (みまし)

7世紀初めに百済から渡来して伎楽(ぎがく)を伝えた人物。生没年不詳。《日本書紀》推古20年(612)条に,この年百済人の味摩之が渡来して,自分は呉(くれ)(中国江南)の地で伎楽の儛(まい)を学んできたものだといったので,飛鳥の桜井に安置し,少年を集めてこれを学ばせ,真野弟子(まののでし)と新漢済文(いまきのあやのさいもん)がこれを習得して伝えたとある。伎楽は古代インド,チベット仮面劇で,西域から中国南朝に伝わり,散楽と呼ばれていたもの。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「味摩之」の意味・わかりやすい解説

味摩之
みまし

生没年不詳。伎楽(ぎがく)を日本に伝えた百済(くだら)からの帰化人。『日本書紀』によると、推古(すいこ)天皇の20年(612)に帰化した味摩之は、呉(くれ)の国に学んで伎楽儛(くれのうたまい)を習得していたので、朝廷は大和(やまと)(奈良県)の桜井に味摩之を居住させて、少年たちを集め伎楽を伝習せしめたとある。その門下に真野首弟子(まののおびとでし)、新漢済文(いまきのあやひとさいもん)の2人があり、伎楽を後世に伝承したといわれる。なお、旧法隆寺献納御物伎楽面は味摩之将来のものと伝わる。

高山 茂]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「味摩之」の解説

味摩之 みまし

?-? 百済(くだら)(朝鮮)の芸能者。
「日本書紀」によれば,推古天皇20年(612)に渡来し,呉(くれ)でまなんだ伎楽の舞をつたえた。大和の桜井に居住して少年たちにおしえ,真野弟子(まのの-でし),新漢済文(いまきのあやの-さいもん)の二人が舞をうけついだという。

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朝日日本歴史人物事典 「味摩之」の解説

味摩之

生年:生没年不詳
7世紀初めの渡来伎楽師。中国の呉で伎楽舞を学び,推古20(612)年に百済から渡来。その後,大和国桜井で少年たちに伎楽を教授し,また真野首弟子,新 漢 済 文にも伝授したという。伎楽は西域を起源とする仮面舞踏劇であり,律令制下では雅楽寮の下で隆盛した。

(関和彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「味摩之」の意味・わかりやすい解説

味摩之
みまし

飛鳥時代の楽人。『日本書紀』によると,百済の人で呉に渡り,伎楽を学び,推古 20 (612) 年に日本に帰化し,大和桜井に住んで伎楽の舞を伝えた。

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世界大百科事典(旧版)内の味摩之の言及

【伎楽】より

…とくに漢訳大乗経典では供養楽あるいは天人の奏楽を意味する。狭義には612年(推古20)に百済人味摩之(みまし)が日本に伝えた仮面劇とその音楽を指す。この場合〈呉楽〉とも書き,〈くれのうたまい〉とも呼ばれた。…

【朝鮮音楽】より

…《隋書》には,百済の楽器として,鼓,角,箜篌,箏,竽(う),篪(ち),笛があげられている。日本との関係は注目すべきで,7世紀初めに,百済人の味摩之(みまし)は中国南部の呉で伎楽を学び,それを日本に伝えたと《日本書紀》にある。ソウル大学校の李恵求は,この伎楽は朝鮮にも伝わり,今日韓国に伝承する山台都監(仮面劇)は同じ系統の仮面舞踊劇であることを証明した。…

※「味摩之」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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