和泉国絵図(読み)いずみのくにえず

日本歴史地名大系 「和泉国絵図」の解説

和泉国絵図
いずみのくにえず

一四九×二二六センチ

成立 慶長一〇年

写本 東京大学図書館南葵文庫

解説 幕府が慶長一〇年九月、西尾吉次を総奉行として国々の国絵図と郷帳の提出を命じた。西国三三国の総括を担当したのは津田秀政で、徳川家康の在住した伏見城に三部ずつ集められたが、その写であろう。和泉国は同国奉行片桐且元のもと、伏屋飛騨守・水原石見守・友松次右衛門が担当した。国全体の輪郭がやや不正確で海岸線は凹字形、岸和田城を中心に描く。四郡の郡枠組や郡界の線引きはないが、郡ごとに村落の色を変えて円形に描き、村名を円形の内に、村高を外に石以下まで記す。堺の町屋は民家の屋根の集合体で、岸和田城は鳥瞰図風に記して天守閣のみを描き、紀州・熊野などの諸街道は赤く太く表し、紀泉国境の峠や紀州への行き先を表示する。名山として葛城峰、信太明神社・久米田池などを紹介し雨山古城跡を記す。高頭目録では郡名、郡高、田畑面積の合計、一国全体の総高、田畑総面積と田方総石高・総面積を記載するほか、小物成や寺社領の石高合計を示す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報