和田垣謙三(読み)ワダガキ ケンゾウ

20世紀日本人名事典 「和田垣謙三」の解説

和田垣 謙三
ワダガキ ケンゾウ

明治・大正期の経済学者 東京帝大教授



生年
万延1年7月14日(1860年)

没年
大正8(1919)年7月18日

出生地
但馬国城崎郡豊岡町(兵庫県豊岡市)

別名
俳号=吐雲

学歴〔年〕
東京大学文学部第一科〔明治13年〕卒

学位〔年〕
法学博士〔明治24年〕

主な受賞名〔年〕
勲一等瑞宝章〔大正8年〕

経歴
但馬豊岡藩士の二男に生まれる。明治14年イギリスに留学、ケンブリッジ大学理財学を修め、16年ベルリン大に学び帰国。文部省御用掛を経て、17年帝大法科大学講師、19年同教授、31年東京帝大農科大学教授となり、経済学・農政学を講じた。東大で経済学を草創期に基礎づくりしたことで知られる。傍ら東京商業学校、日本女子商業学校の校長として民間の実業教育を指導した。著書に「経済教科書」「法制教科書」「世界商業史要」などの他、「青年諸君」「吐雲録」「兎糞録」などの随筆集がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「和田垣謙三」の解説

和田垣謙三

没年:大正8.7.18(1919)
生年:万延1.7.14(1860.8.30)
明治大正期の経済学者,兵庫県出身。帝大卒。帝大法科大学教授のち同大農科大学教授。東大で経済学を草創期に基礎づくりしたことで知られる。明治19(1886)年帝大法科大学発足の年に教授に任じられ,31年に農科大学に転籍するまで,金井延 と共に和田垣・金井時代を築いた。シュタインワグナー財政学を継承して社会政策学派の導入に努め,自由主義経済学からの転換をうながした。<参考文献>『東京大学百年史 部局史1』

(藤井隆至)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「和田垣謙三」の解説

和田垣謙三 わだがき-けんぞう

1860-1919 明治-大正時代の経済学者。
万延元年7月14日生まれ。文部省御用掛をへて,明治19年帝国大学教授となる。また日本女子商業,東京商業の校長として民間実業教育に尽力。大正8年7月18日死去。60歳。但馬(たじま)(兵庫県)出身。東京大学卒。号は吐雲。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「和田垣謙三」の解説

和田垣 謙三 (わだがき けんぞう)

生年月日:1860年7月14日
明治時代;大正時代の経済学者。東京帝国大学教授
1919年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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