品郡(読み)あしなぐん

日本歴史地名大系 「品郡」の解説

品郡
あしなぐん

面積:五二・八八平方キロ
新市しんいち

明治三一年(一八九八)芦田あしだ郡・品治ほんじ郡が合併し、成立した郡で現在は一郡一町。県東端部に位置し、北は神石じんせき郡、東・南は福山市、西は府中市。

〔原始・古代〕

神谷かや川中流域から下流域のつねに先土器時代、縄文早期・後期・晩期にわたる宮脇みやわき遺跡、縄文後期・晩期の芋平いもびら遺跡、下流域の新市字神谷川かやがわに縄文晩期、弥生中期・後期の神谷川遺跡がある。古墳相方さがた汐首しおくびに前期の潮崎山しおざきやま古墳、後期の汐首古墳、常字芦浦あすらに後期の尾市おいち古墳、戸手とで中戸手なかとでに後期の大佐山白塚おおさやましらつか古墳・十四山じゆうしやま古墳がある。

「日本書紀」崇神天皇一〇年九月九日条によると四道将軍の一人として西道(山陽道)吉備津彦が派遣されており、「国造本紀」によると備南地方の国造として推定されるものに吉備穴国造と吉備品治国造があり、品治国造には成務天皇の時、若角城命の三世の孫大船足尼が任命されている。品治ほむち国は、後世芦田郡・品治郡地方であろうから、現芦品郡地方は早くから大和勢力の支配の手が延びていたといえよう。先述の宮脇遺跡の所在地が品治別ほんじわけ神社の近くであることは、この地域が原始から古代にかけての政治的中心地であったことを推測させる。

唐・新羅勢力の侵攻に備えて九州・瀬戸内・畿内に城が築かれたが、「続日本紀」養老三年(七一九)一二月一五日条にみえる常城つねきはその一環として造られたものと考えられている。備後国府推定地(現府中市)の背後にある常城跡からは、芦田川流域からとも(現福山市)まで一望のもとに見渡せ、さらに瀬戸内海を遠望できる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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