善城村(読み)ぜんぎむら

日本歴史地名大系 「善城村」の解説

善城村
ぜんぎむら

[現在地名]下市町大字善城

下市村の南に接続する村。秋野あきの川沿いの平坦な形勝地。御領ごりよう郷のうち。慶長郷帳では村高二九二・五七石、幕府領(代官大久保長安)。のち延宝検地により村高は四一二・三八四石となった。

「善城村年代記」寛保三年(一七四三)の記事に「七十七年以来出火十三回」とあり、享保一八年(一七三三)九月二二日焼失家数五一、寛保三年三月二四日焼失家数二七、宝暦三年(一七五三)一月二四日焼失家数一五、安永四年(一七七五)一〇月七日焼失家数九とみえる。善城宗門家別人数改控帳(滝上寺文書)によると、享保七年には家数一一三、人数四二〇であったが漸次減少し、延享二年(一七四五)には家数九一、人数三三二、宝暦一三年では家数八七、人数三二三となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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