新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「嘉納 治五郎」の解説
嘉納 治五郎
カノウ ジゴロウ
- 肩書
- 貴院議員,講道館初代館長,東京高師校長,IOC委員
- 生年月日
- 万延1年10月28日(1860年)
- 出生地
- 摂津国莵原郡御影村(兵庫県神戸市東灘区)
- 学歴
- 東京大学文学部政治学・理財学科〔明治14年〕卒
- 経歴
- 灘の代表的な酒造家嘉納治郎右衛門の一族・浜東嘉納家に生まれる。明治3年10歳で上京。14年東大卒業後、学習院講師となり、英語と理財学を教える。22年ヨーロッパに留学。帰国後、熊本の第五高等中学校(のちの五高)、東京の第一高等中学校(のちの一高)校長を経て、26年〜大正9年まで27年間にわたって東京高師校長を務めた。一方、東大在学中から柔術に親しみ、15年東京・下谷に嘉納塾(講道館)を開設し学生に柔術を指導。21年麴町富士見町の新道場で古来の柔術を改良した“柔道”の成立を宣言、以来講道館柔道を完成させた。42年日本初の国際オリンピック委員会(IOC)委員に就任。44年大日本体育協会を創立し会長となり、翌年のストックホルム五輪に日本初参加を実現。昭和13年東京五輪招致のためカイロ会議に出席、その帰途船中で病死。平成11年国際柔道連盟(IJF)殿堂入り第1号となる。
- 受賞
- 朝日賞(昭9年度)
- 没年月日
- 昭和13年5月4日
- 家族
- 次男=嘉納 履正(講道館館長)
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報