国家(読み)こっか(英語表記)state
Staat[ドイツ]
État[フランス]

精選版 日本国語大辞典 「国家」の意味・読み・例文・類語

こっ‐か コク‥【国家】

〘名〙
① 一定の地域に住む人々を支配、統治する組織。国(くに)。邦国(ほうこく)。邦家(ほうか)。朝廷。おおやけ。
※十七箇条憲法(604)「百姓有礼。国家自治」
※平家(13C前)二「又国家を祈奉る事おろそかならず」 〔易経‐繋辞下〕
② 特に、近代、一定の領土を有し、そこに居住する人々で構成され、一つの統治組織をもつ団体。基本条件として、国民・領土・統治権の三要素を必要とする。その起源については神意説、契約説、実力説などがある。
※和蘭字彙(1855‐58)「国家ノ安全ヲ丹誠シテ祈ル」
③ 特に天皇をさす。
※円覚寺文書‐(弘安六年)(1283)七月一八日・無学祖元書状「誠是国家及大将軍、太守、千年植福之基、万劫作仏之本」
④ 戦国大名の領国。
朝倉孝景条々(1471‐81)一六条「諸卒を下知し、国家無恙候」
⑤ 国と家。〔日葡辞書(1603‐04)〕
⑥ 江戸時代、一国以上を領有する大名。国持(くにもち)
※葉隠(1716頃)八「其時は御国家の御用不相澄儀と存、御国家に対し言上差控罷在候」

くに‐いえ ‥いへ【国家】

[1] 〘名〙 (「国家」を訓読した語) =こっか(国家)
※書紀(720)仁徳即位前(寛文版訓)「宗廟社稷(クニイヘ)に奉へまつるは重き事なり。僕(やつかれ)は不侫(みつな)うして以称(かな)ふに足らず」

くに‐け【国家】

〘名〙 地方から江戸に出てきた武家。国衆。国武士。
※洒落本・広街一寸間遊(1778)「むかふへきなはるは、ぬしのちかづきのお国家(クニケ)だね。あれは四国の人さ」

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デジタル大辞泉 「国家」の意味・読み・例文・類語

こっ‐か〔コク‐〕【国家】

くに。
一定の領土とそこに居住する人々からなり、統治組織をもつ政治的共同体。または、その組織・制度。主権・領土・人民がその3要素とされる。
[類語]邦家社稷

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改訂新版 世界大百科事典 「国家」の意味・わかりやすい解説

国家 (こっか)
state
Staat[ドイツ]
État[フランス]

一定の境界線で区切られた地縁社会に成立する政治組織で,そこに居住する人々に対して排他的な統制を及ぼす統治機構を備えているところにその特徴がある。

一般に政治の機能は,社会内部の異なる利害を調整し,社会の秩序と安定を維持していくことにあるが,こうした機能の達成のためには,社会の組織化が必要である。国家は,政治の機能を遂行するためにつくられた社会の組織にほかならない。社会の構成員が国家という組織からみられるときには,国民あるいは公民と呼ばれる。社会において個人や集団相互間の紛争が共通の規範によって解決され,必要な場合には相互の協力が十分に期待できるような状態を秩序ある状態と呼ぶならば,国家の機能は,何よりもまず,社会の秩序を築き,それを保持し,かつ外敵の侵入に対して,それを防衛することにある。国家には,そのために必要な権力が付与されている。たとえば,近代以前の西欧社会では,教会,領主,ギルドといった多様な個人や集団が,それぞれ社会の秩序を維持していくのに必要な権力を保持していた。しかし近代社会では,秩序を維持するのに必要な権力は近代国家の手に集中されており,他の集団の有する権力はその集団の目的に必要な限られた範囲にしか許されていない。もとより,今日の国家は,秩序の形成と保持以外にも,多くの公的な問題を処理する責任を負わされている。しかし,秩序が保たれていない限り,こうした責任を果たすことはほとんど不可能であるといえるから,今日においてもやはり国家の機能は,何よりもまず社会の秩序を築き,保つことにあるといってよい。

国家は,こうした独自の機能をもつ組織であるために,他の組織とは異なった性質を有する。第1に,普通の組織,たとえば,企業,組合,教会,クラブ,学校などの場合には,それらの組織に参加するかしないかは各自の自由であるが,国家の場合には,生まれながらにして,いずれかの国の一員である。ある国家の一員であることをやめるには,原則として他の国家の一員となることを求められる。第2に,どの組織も,その規則に違反したものに対しては,多かれ少なかれ,何らかの制裁を課することによって,規則を遵守させようとするが,国家と呼ばれる組織は,他の組織に比べてはるかに強大な制裁力をもっている。他の組織の場合には,組織のそれぞれの目的を達成するのに必要な範囲においてのみ制裁力の行使が認められるが,国家の場合には社会全体の秩序を保持し,その秩序を破る者に制裁を課することが,その目的の一部だと考えられるからである。第3に,国家の規則,すなわち法は,他の組織の規則とは異なり,国家のなかにあるすべての個人と組織とを拘束する。他の組織は国家の法の許容する範囲でしか規則を制定することができないし,規則を遵守させるための制裁力も,法に認められる範囲内でしか行使できない。

 国家の権力は非常に強大であるため,その濫用の危険もきわめて大きい。とくに,社会の内部に階級対立のような深刻な亀裂が存在する場合には,ある特定の集団が他の集団を抑圧し支配するために,国家の権力を濫用する可能性が高い。また,国家権力の行使を委託された人々は,しばしば自己の私的利益のために国家権力を濫用するおそれがある。こうしたことのために,自由と権力の対抗関係において自由を確保するには,権力を制限しなければならないとする自由主義や,権力者の恣意的統治に代えて,あらかじめ定立された規則に基づく統治を推し進めようとする立憲主義が高い説得性をもつことになる。多くの近代国家において,憲法が制定され,権力分立制や地方分権制が制度化されているのも,国家権力の濫用あるいは恣意的な権力の行使を抑制しようとするものであるといえよう。

われわれが今日国家と呼んでいるのは,近代国民国家のことである。歴史的にさかのぼれば,近代国民国家以前には古代国家や中世国家が存在していた。ギリシアの都市国家(ポリス),ローマの古代帝国,中国の諸王朝,日本の古代国家(律令制国家),さらにヨーロッパ封建国家や日本の徳川幕藩体制等々がそれである。いずれも,独自の編成原理と支配・統治の機構を備えた公権力として国家のさまざまな類型を示し,その成立過程はそれぞれ歴史研究の大きな主題となっている。とくに日本における国家成立史は,天皇制の歴史的な解明と深く結びついており,古代史,中世史の主要なテーマである。

 ここでは,典型的には西欧近代世界に出現し,19世紀以後の世界に強い影響を与えた国家の諸類型について記述する。ちなみに,欧米で国家を指すstate,Étatなどの語は,16世紀のイタリアにおけるstatoという語に由来するが,これはおもに中世の都市国家の統治機構を意味するものであった。近代的な国家概念はこの系統に属し,マキアベリが《君主論》で用いたのが最も早い例とされているが,これはラテン語で〈組織〉を意味するstatusと同義である。

国民国家

絶対主義国家は,中世共同体の崩壊過程に成立したことによって,共同体から解放された人々を基礎として,社会の秩序と安定をつくりだす課題を負わなければならなかった。その意味でそれは,明らかに近代国家の最初の形態であったといってよい。しかし,その内部には経済的利害をめぐる鋭い対立が存在していた。その出発点においては,封建領主層あるいは貴族層の特権を剝奪し,中世共同体を解体しようとする点で,絶対君主と小農民や商人層との間には利害の一致があったと考えられる。しかし,共通の敵が力を失いはじめると,こうした一致は破れざるをえない。共同体から解放された各個人にとっては,私的観点からする富の追求こそ当然の要求であったが,こうした要求は絶対君主の利害と相反するものであった。一般民衆の不満が増大して無政府状態の危険性が現実化し,しかも絶対君主がこうした事態に対応しうる手段をもちえなくなれば,絶対主義は崩壊する。ただ,絶対主義の存在理由が新しい社会体制における新しい統合の必要性にあったとすれば,たとえその存在理由が疑われることになったとしても,統合の必要性そのものは消滅しないであろう。それゆえ,絶対王政を打倒するためには,統合の単一推進者であった絶対君主に代わるべき新たな統合の担い手が登場しなければならない。

 絶対君主のもとで平準化が強行され,封建領主などいわゆる中間団体の支配特権が排除されて,すべての人々が平等な臣民として君主の支配に服していたことは,被支配者としての一体性を生み出すことによって,こうした統合の担い手を準備することになったと考えられる。かくて絶対主義ののちにくるものは,一体感をもった被支配者がみずからを支配者の位置に置くことであった。ここに,絶対主義の時代に成立した主権の概念は,君主主権から国民主権へと転換し,文字どおり近代国民国家が形成される。絶対主義国家も少なくともその版図においてはすでに国民国家であった。しかし国民主権が確立されることによって,国民的自覚(そのイデオロギー的表現が国民主義にほかならない)を備えた国民国家が成立することになったのである。

近代国民国家は,まず市民社会を基盤として成立するが,この時期の近代国家の特徴は,夜警国家であり,立法国家であることに求められよう。夜警国家は,自由放任主義の下で国家の機能を最小限にとどめようとするものであった。さまざまな形で生ずる利害の対立を自由に放任することが,社会の秩序と安定にとって最も望ましい結果をもたらすものであるとすれば,国家の果たすべき機能は外敵の侵入を防ぎ,国内の基本法の遵守を確保することで十分である。19世紀のドイツの革命家F.ラサールは,こうした国家を皮肉をこめて〈夜警国家〉と呼んだ。このように,自由放任主義の下で国家の機能が極小化されていた時期には,法律を制定することが重要な意味をもっていた。国内社会において国家が干渉しうる領域は,市民の安全と社会の秩序を保持するのに必要な最小限度の事柄に限定されていたから,必要な事項はすべて明確に法文の形で示すことができた。したがって,法律をいかなる形で制定するかが政治上の最も重要な問題であり,制定された法をいかに執行するかは,第二義的な意味しかもちえなかったといってよい。

 国家の機能を区分する際にも,まず立法権と司法権がとりだされ,執行部あるいは行政権は残余の領域と考えられていた。この時期の国家は,立法部が政治の中心的位置を占めていたという意味で,〈立法国家〉と呼ぶことができよう。

20世紀に入るとともに加速度的な進行を遂げた工業化と都市化は,社会の大規模化と複雑化とを促進することによって,市民社会の前提である個人の予測可能性と自律性を著しく低下させた。とくに普通選挙制が確立されて,市民に代り大衆が政治過程に登場するとともに,夜警国家を支える自由主義の基本理念も後退せざるをえなかった。自由主義の基本的理念とは,国民の自由の保障にほかならないが,自由の保障が意味をもちうるのは,人々が保障された自由によって積極的に個々人の福祉を追求しうる場合に限られる。それゆえ,自律的市民が自己の責任において各自の福祉を追求することが原則とされ,しかもその原則が現実にも意味をもちえた市民社会においてのみ,自由主義は意味をもちえたのである。しかし,大衆の登場とともに自己責任の原則は崩れる。個人はもはや失敗の責任を全面的に負うことには耐えられないし,実際,恐慌や戦争のように,個人の予測能力や統制能力をはるかにこえたところに,その原因が求められる場合も多い。かくて人々は,各自の個別的な福祉の実現に関しても,多くの事柄を政治に期待することになる。それゆえ,現代社会の諸条件の下で社会の統合の必要性にこたえようとするならば,国家はこうした各個人の期待を満たすように努力するほかはない。要するに,現代の国家は社会のあらゆる領域に介入しつつ,各個人の個別的な福祉の実現に力を貸すことによってのみ,社会の秩序と安定を保ちうるといってよい。こうして,あらゆる現代国家は,単なる政治体制の相違をこえて,福祉国家に移行する必然的な傾向をもっているのである。

夜警国家から福祉国家への転換は,国家機能の著しい増大を伴うものであった。たとえば,労働者の発言権の増大とともに,失業や貧困も国家によって救済されるべきであるとする要求が強まり,失業救済や社会保障も国家の重要な任務となるにいたった。また,資本主義の高度な発展をみた国では,恐慌が飛躍的に大規模化する傾向が現れ,資本主義の秩序を維持するためにも,経済に計画的統制を加える必要が生じた。

 こうして,国家の機能は著しく複雑化し,かつ大規模化したが,それに伴って行政部の比重が急激に増大する傾向が現れたのである。一般に,法律は問題を処理する枠組みを示すだけであるから,問題の複雑化とともに,法律の施行にあたって法の規定をいかに適用するかが重要な意味をもってくる。いいかえれば,行政部による自由裁量の範囲と意味とが,かつてみられなかったほどの重要性を与えられることになったのである。また,これらの複雑な問題を処理していくためには,高度の専門的能力が必要とされることになり,法律の制定に際しても,立法部よりは専門的熟達者を多く含んでいる行政部のほうが有利な地位に置かれることになった。こうして多くの国で,立法部自身が法律案の起草にあたるよりは,むしろ行政部が法律案の起草にあたることを常態とみなすような傾向が現れた。立法部は単に行政部の提案に賛否の意思を表明するにとどまる場合も少なくない。さらに戦争や恐慌のような非常事態に際しては,立法部がその権限を大幅に委譲する委任立法がみられることもまれではない。こうして,行政部の比重が圧倒的に増大したために,現代の国家はしばしば〈行政国家〉と呼ばれている。夜警国家から福祉国家への転換は,同時に立法国家から行政国家への転換を意味したといってよい。

これは,国家に絶対的な意義を与え,国家権力の倫理的意義を強調する立場である。教会と領主の権力に対抗しつつ,近代国家が形成される過程で成立した主権論は,近代における一元的国家観の最初の形であった。ホッブズやルソーにみられる社会契約説も,共同体から解放された原子的個人から出発して,近代国家の主権を弁証しようとするものであり,やはり一元的国家観に属するものであった。しかし,近代国家の完成に伴う自由主義国家の成立は,こうした一元的国家観を積極的に主張する理由を失わせたといえる。

 ただヘーゲルは,ドイツの後進性のゆえに,国家権力の存在理由を強く主張すべき立場にあり,市民社会に一定の意義を認めながらも,同時に国家を倫理的理念の現実態として高く評価した。ヘーゲル的立場は,工業化の進展に伴う社会問題の拡大と帝国主義の成立に伴う国際緊張の増大に伴って,国家権力の積極的意義が評価されはじめるとともに,ドイツ以外の国でも注目されるようになった。たとえば,イギリスでもT.H.グリーン,F.H.ブラッドリー,B.ボーザンケトらが,ヘーゲルの影響の下に,国家の倫理性を強調しつつ,国家が社会問題に積極的に介入することを正当化したのである。ヘーゲル的立場は,のちに著しくゆがめられた形で,ナチズムやファシズムの国家観に現れたが,しかしそこでは少なくともヘーゲル哲学の合理性は完全に排除され,国家一元論は著しく非合理的かつ神話的な形をとることになったといえよう。

理想主義的国家一元論に対する批判として,おもにイギリスに現れた国家観で,国家の他の社会集団に対する絶対的優位性を拒否し,国家を他の経済的,文化的あるいは宗教的諸集団と同様に特定の有限な目的をもつ集団の一つであるとみなす立場である。この立場は主として,バーカーE.Barker,G.D.H.コール,H.J.ラスキらによって主張された。多元的国家観は,まず国家と全体社会を同一視することを拒否し,国家は全体社会からみれば,その機能の一部を分担する部分社会にすぎないとする。さらに,これまで国家主権とされてきた権能は,他の諸集団においても集団統制のために行使されているもので,したがって,国家の主権は絶対性をもちえないとされ,主権の複数性が主張される。多元的国家観という呼称も,こうした主権の多元性あるいは可分性の主張に基づく。国家と他の社会集団とが並列的にとらえられる場合には,国家の存在理由はその機能に求められなければならない。その意味では,多元的国家観は,国家の構造や形式よりも国家の活動内容を重視する機能的国家観といってよい。この国家観は,何よりもまず国家機能の圧倒的増大の下で,国家の絶対化を防ぎ,自由主義の原則を貫こうとする立場であったと考えられる。

国家を階級抑圧の機関であるとみなす立場である。この理論はおもにマルクス主義の国家論として展開されてきた。マルクス主義によれば,生産力が増大するに従って,あらゆる社会には階級対立が発生するが,それとともに社会に必要な共同事務の遂行を果たす公権力は,その社会機能と同時に,支配階級による被支配階級の抑圧という政治的機能を果たすことになる。階級対立の形態が,古代社会(奴隷制),中世社会(農奴制),近代社会(資本制)と歴史的に変化してきたのに応じて,国家の形態もまた古代国家,封建国家,近代国家と変化してきた。こうした階級対立は,これまできわめて長い歴史をもってきたが,それは超歴史的なものではない。原始社会においては,まだ階級対立は発生していなかったのであり,したがって国家も存在していなかった。国家の起源は原始社会の氏族的権力組織が崩壊して,奴隷制社会が形成されたときに求められる。

 このように,国家の起源が階級対立の発生に求められるとすれば,階級対立の消滅は当然に国家の死滅をもたらすであろう。すなわち,最後の階級社会である資本主義社会が廃止されて,社会主義社会が形成されるならば,〈プロレタリアートの独裁〉を経て,やがて国家は消滅するとされる。プロレタリアート独裁は,過渡的に国家権力の一時的極大化を示すけれども,それは国家権力の役割の肯定を介して,それを否定する過程として,いわば弁証法的に理解されている。しかし,現実の社会主義国家社会主義)においては,資本主義国家と同様に国家機能の著しい拡大がみられ,今日までのところ国家の死滅を予告するいかなる兆候も現れていない。

近代国家の最初の形態は絶対王政であったから,国家に対する批判もまず絶対王政に対する批判という形をとった。その一つは信仰の自由を守る立場から暴君の放伐を説いたモナルコマキmonarchomachi(ラテン語)であり,他の一つは封建時代に認められていた特権の回復をめざす立憲主義である。とくに立憲主義の主張はのちに普遍化されて,国家権力に対し基本的人権の保障を求める権利章典の制度化を導いた。絶対主義国家はやがて市民革命を経ることで,国民国家へと変貌するが,この過程において指導的役割を果たしたブルジョアジーは,国家機能を最小限にとどめることを望んだ。その帰結が夜警国家観にほかならないが,それは同時に市民社会自体が安定した秩序を実現しうると想定していた。すなわち,まず国民の共同生活は国家という形式的側面と市民社会という実質的側面をもつとされる。そして市民社会では,各個人は利己的な経済活動を通じて相互に結合されるが,自他の利害計算を支配する合理性のゆえに,市民社会自体に高い予測可能性が成立し,それに基づいて安定した秩序も成立する。かくして,市民社会を高く評価する人々は,国家に対してはむしろ消極的態度をとる。たとえば,J.ロックは国家と市民社会を区別し,市民社会は国家に一定限度内で統治を信託しているにすぎないと主張した。またA.スミスは,人間は〈神の見えざる手〉によって導かれているとして,市民社会の自律性を説き,最小の政府こそ最良の政府であるとした。このように,市民社会の自律性を主張することは,国家批判の系譜においても重要な位置を占める。マルクスの階級国家論も,国家の階級的性格を指摘し,国家の中立性の仮面をはぎ,さらに無階級社会における国家消滅の必然性を説くことで,国家批判の新たな観点を確立した。しかし,市民社会の衰退は,当然に国家に対する批判をも弱めることになり,むしろ大衆社会においては,国家の積極的な役割を是認する立場が強くなっていく。また,ドイツのような後発的な近代国家にあっては,市民社会に一定の評価を与えながらも,市民社会に内在する分裂を克服するために,国家の積極的な役割を強調する立場が現れる。ヘーゲルの国家観はその代表的な例といえよう。20世紀に入ってイギリスやアメリカで盛んになった多元的国家論は,国家も多元的政治社会の一つにすぎないとして,その絶対化を拒否する試みであり,国家批判の側面をもっていたことはいうまでもない。

 今日では,かつてヨーロッパに成立した国民国家の理念と制度が,ヨーロッパ以外の全世界に普及拡大するにいたっている。こうした傾向に対して,国民国家はそのヨーロッパ的起源のゆえに,アジアやアフリカなどの第三世界には必ずしも適合しないとする批判も強い。ただヨーロッパ的国民国家には,人権の尊重や法の支配などのすぐれた成果もある。今後の課題は,国家が各地域の伝統や風土と融合することで多様化の方向をとるのをみきわめながら,国家の成果というべきものをいかに受け継ぐかにあるといえよう。
執筆者:

国家の起源をめぐる議論は,すでに述べたように何をもって国家とみなすか,国家の定義の問題とかかわっている。ここでは,20世紀の主要な議論を紹介する。E.マイヤーやW.コッパースは国家を人類社会に普遍的に存在するものと考え,狩猟採集民の群れ(バンド)にさえ国家的な要素を認めていた。またR.H.ローウィのように,小規模な群れや村は別としても,血縁・地縁の絆(きずな)をこえて形成される結社に国家的なるものの萌芽を見いだそうとした学者もいる。

 しかし今日では,大部分の人類学者は国家の起源を論ずるにあたって,まず社会経済的な階層化や権威・権力の集中,労働の専門分化などの問題をとりあげるようになってきている。たとえばフリードM.H.Friedは国家形成の第一歩として社会的,政治的な階層化を強調したし,カーネイロR.L.Carneiroは社会階層ひいては国家を生み出す背景として特殊な地理的環境を重視した。カーネイロのいわゆる地理的限定理論によれば,それ自体は良好な土地だが,周囲を不毛の砂漠や山岳,あるいは海などに囲まれた地域において国家が興りやすいという。そうした地域では人口集中によって人口圧が生じ,土地をめぐる争いが激化し,その結果,敗者の勝者に対する服属と納税が始まり,政治経済的階層が生ずるというのである。ちなみに,こうした地域では被征服者が周囲の地域に逃れて新しい村をつくることはきわめて困難だからである。

 一方,サービスE.R.Serviceは国家形成に寄与する要因として,(1)再分配の経済システム,(2)戦争の組織,(3)公共事業,の3種の組織の効用ないしは社会統合に及ぼす効果を強調する。ちなみに,(1)は多様な生態条件にある地域が開発されるとともに労働の特殊化,専門化が助長される場合に,さまざまの地域のさまざまな産物をある指導者の下に集めて再分配することによって生ずるし,また遠隔地貿易などによっても促進される。(2)は成功をおさめたときには種々の富(戦利品,捕虜,貢納など)をもたらすのみならず,〈民族的な誇り〉をも高め,結局は軍事指導者を中核とする統治機構を強める。(3)は神殿を建造したり水利システムをつくるために組織される。要するにこの種の組織化が始まることによって,当初は一時的であり限定されていた指導権が恒久化し強化され,ついには世襲化ないしは制度化されて,国家的機構の基礎が築かれるというのである。

 従来,国家の起源をめぐって,たとえばF.オッペンハイマーやR.トゥルンワルトが唱えた征服説や,K.A.ウィットフォーゲルの灌漑説などが注目を浴びたが,それらは,サービスの理論によれば,上述の組織化と指導権の制度化を生み出すいくつかの要因の一つにすぎないことになる。国家形成へいたる道筋は必ずしも一つではなく複数でありうるという見解はR.コーエンやL.クレーダーによっても示されている。
執筆者:

主権国家は,日本のように,原則として単一国家である。単一国家は,同国家を代表する単一の中央政治権力をもつ。ところが,国家の中には,他国と結合することによって,主権を喪失はしないが,制限されるものがある。こうして,国家の種類分けがなされるが,それは,18世紀から20世紀にかけて現実に存在した種々の国家結合から帰納されたタイプにすぎない。したがって,実際にはコモンウェルスのように,どのタイプにも該当しない独特な国家結合もありうる。通常,国家結合として示されるのは,同君連合,国家連合連邦制保護国・被保護国宗主国・従属国である。同君連合は君主国について認められ,複数国家が偶然に同一人物を君主とする身上連合personal union(例,1714-1837年のイギリスとハノーバー朝)と,複数国家が合意して同一人物を君主とする物上連合real union(例,1814-1905年のスウェーデンノルウェー)とに細分される。国家連合confederation of states(例,1815-66年のドイツ連合)も連邦制も,複数の国家が結合して,それ自身の機関を設けるときに成立するが,国家連合では,その機関の権限が直接には構成国だけにしか及ばないのに対し,連邦制では,構成国国民にも及ぶ。保護国・被保護国は,主権の重要部分を委譲するという方法で,弱国(被保護国)が強国(保護国)の保護下に屈するときにみられる。宗主国・従属国は,国家の一部(従属国)が独立しようとする過程で,本国(宗主国)の国内法によって制限された主権を認められるときに成立する。これらの国家結合のうちで現存しているといえるのは,連邦制のみである。

 なお,国家の基本的権利・義務としてあげられるのは,主権独立権平等権自衛権,不干渉義務(内政干渉)などである。こうした国家の基本権の観念は,歴史的には自然法思想に基づき,国家も生来的に固有の権利をもつという形で主張された。しかし,前記の被保護国,従属国の場合のように,主権は必ずしも固有のものでなく,制限されることがあることに注意する必要がある。
執筆者:

国際政治の基本的な行為主体actorとして,国家は,戦争から平和にいたるさまざまな国際現象の担い手の役割を果たしてきている。国家は,ふつう,民族国家nation stateと呼ばれる。民族国家は,近世ヨーロッパを舞台にして,17世紀中ごろ以降,その誕生をみた。三十年戦争に決着をつけたウェストファリア条約(1648)が,民族国家体系を成立せしめる歴史の一大契機となった。それ以前の国際社会は,なによりも政治と宗教とが未分化の中世世界であった。ローマ教皇が国家の次元を超えてヨーロッパの教会領に君臨したり,また神聖ローマ帝国では,いろいろな領邦の領主が選挙侯として皇帝を選出するというように,異質な政治の行為主体が混じり合う世界であった。

 多元的な政治体系に代わって,共通の構造属性をもつ国家が,その規模の大小にかかわらず,国際政治の主役となったのである。その際,共通の構造属性とは,第1に,国家が固有の領土をもつこと,第2に,固有の人口をもつこと,そして第3に,対外的に主権をもつことである。国際法は,一般に国家を,〈一定領土内に居住する国民に対して,これを支配する政府組織を有する法的主体〉として定義する。ここで大事な点は,国家が物理的暴力(警察力および軍事力)の唯一正統な独占主体であり,かつ,より高次のいかなる政治的権威にも服さないことである。このような国家主権の平等性を基礎にして現代国際社会が成り立っている。

 民族国家体系が生成・発展していく背景には,確かにその一方で,世俗的権威による宗教的権威への優越という発展があったが,その他方では,それぞれの国家が,農業社会から工業社会へ脱皮していく経済的近代化の過程があり,同時に常備軍と官僚機構をあわせ備えていく政治的近代化の過程があった。

この体系は,最初は,ヨーロッパ,それからアメリカ大陸,そしてアジアへと拡大する歴史をたどったが,とくに第2次大戦を境にして,国家群の増大をみることとなった。たとえば,1945年に国際連合が発足したとき,構成国の数は51ヵ国であった。ところが,80年代に入って,その数は3倍の150ヵ国をこし,90年代末には180ヵ国をこえた。民族国家体系は,ここで一挙に膨張をみた。しかし,この膨張過程は,同時に国家体系および国家の重要な変質をまねいてきている。

 まず第1に,民族と国家とを一体とする構成原理に大きな変容をみてきていることである。それはとくに,長く植民地の地位におかれたがゆえに,民族と国家とを外の力によって人為的に分断せしめざるをえなかった多くの開発途上国の事例にみられる。第2次大戦後独立をみた多くの途上国は,民族国家の構成モデルに容易にあてはまらず,いまなお国家の形成過程にある。

 第2には,国家間の力powerの不均質さがいっそう顕著になる方向での変容である。軍事力の次元では,圧倒的な核兵力をもつ米ソが国際政治で〈2者独占〉の状況にあったし,また経済力の次元では,先進工業諸国と開発途上諸国との間の貧富の差が広がる一方である。まさに国家群の膨張は,国々の不平等構造,ゆがみを強めることとなった。そのことが国際政治でさまざまな紛争を生み,その解決をますます困難なものとしている。

 第3に,国家および国家体系の変質として見のがせない現象に,国々の〈相互依存〉の深化といった新たな現実がある。とくに先進工業諸国を中心として,貿易,金融,人,情報など有形無形の相互交流が著しい速度で発展し,その結果,国々は,相互の政策の変化に敏感にかつ大きく影響をうけるようになった。国々は相互の依存を増すと同時に相互の脆弱(ぜいじやく)性をも増している。このような〈相互依存〉の深化の状況下では,国家は,紛争の解決の手段として,軍事力に安易に頼ることができなくなった。むしろ非軍事的な方法が重要視されるようになった。これによって国際紛争の処理や危機管理が図られねばならない。何世紀にもわたって国際政治で実践されてきた〈砲艦外交〉の行動様式に強い疑問が投げかけられている。〈相互依存〉の深化が国家の行動様式の変化を顕著にしてきている事例として,ヨーロッパ連合(EU)域内の国際関係があげられよう(国際統合)。

 第4の変化として,多国籍企業やさまざまな営利・非営利の非政府組織(NGO)が国際政治で新たな行為主体としてその重要性を増していることがある。国際政治に新たに〈脱国家国際関係transnational relations〉の登場をみることとなった(トランスナショナリズム)。この変化に呼応するかのように,国々によっては,国内に人種や文化の〈アイデンティティ〉を求める地方主義も台頭し,国家社会の細分化の方向へと重要な変化がみられるようになった。
世界政治
執筆者:

国家 (こっか)
Politeia[ギリシア]

プラトンの著作(対話編)。全10巻から成り,彼の主著といえる。《饗宴》や《ファイドン》につづいて50歳代に執筆され,完成は前375年ころと推定しうる。前387年にアカデメイアを創設して以来,研究教育活動に最も充実していた時期の所産である。ソクラテスを主役とするこの対話編は〈正義とは何か〉の吟味に始まり(第1巻),そのテーマは全編を一貫しているが,議論の進展につれて,正義のあり方を国家次元に拡大して考察することが提起され,言論による理想国家の構築が試みられることになる(第2~5巻)。議論の重点はとくに国家の防衛と統治の担当者たちに関する機構と教育の問題におかれ,彼らの間での私有財産制や家族制の撤廃などの大胆な提案がなされている。次いで,理想実現の唯一の方途として,いわゆる〈哲人王〉思想が表明されると(第5巻末),それに内実と裏付けを与えるべく,哲学者と哲学的認識の本質規定,善のイデアに究極するイデア論の構造,イデア認識を達成するための学問過程などがくわしく論じられる(第6~7巻)。その後,理想国家が不完全国家の諸形態へと転落していく過程が,個々人のうちの悪徳の規定と並行的に述べられたうえで,〈正義〉こそが人間を幸福にするものであることが宣明される(第8~9巻)。そして最終巻において,詩歌文芸の批判的考察および魂不死の論証が試みられたのち,死後の魂の運命を述べた〈エルの物語〉によって全巻が終わる。
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百科事典マイペディア 「国家」の意味・わかりやすい解説

国家【こっか】

一定の領土に定住する多数人で構成される団体で,排他的な統治組織をもつもの。一般に,領土・人民主権(統治権)の3要素からなるとされるが,憲法などで国家権力の範囲を定める近代国家においては,国家のみが主権をもつことに反対する解釈もある(多元的国家論)。またマルクス主義では,国家は,支配階級が被支配階級を支配し搾取するための権力機構とみなされる(階級国家観)。歴史的には古代奴隷制国家(奴隷制社会),中世封建国家を経て,絶対主義国家の登場に伴い,国家は国際政治の主役となると同時に,中央集権機構をもつ近代国家として整備される。ブルジョア革命ののちの国民国家では,〈人民〉の大多数は国家の動向に関心をもつ〈国民〉に転化する。この段階での国家は,自由放任主義のもとで国家の機能を最小限にとどめようとする〈夜警国家〉であり,立法部が政治の中心を占めるため〈立法国家〉とも呼ばれる。20世紀に入ると,工業化・都市化の進行による社会の複雑化に伴い,国家が社会の全領域に介入する〈福祉国家〉に移行するが,そこでは行政部の比重が急増して〈行政国家〉の様相を呈する。後者はまた〈積極国家〉とも呼ばれる。こうして今日の大衆国家では,国家は国民の日常生活のすみずみにまで深い関係をもち,他のあらゆる社会集団を圧倒する巨大な機構として確立されている。なお,ナチズムやファシズムのもとでの全体主義的国家においては,国民は国家の利害への全面的従属を迫られる。社会主義革命(プロレタリア革命)を経て成立する社会主義国家は,国家権力が労働者階級のために行使される国家であり,マルクス主義によれば,その発展の結果もたらされる共産主義の段階では,国家は〈死滅する〉とされる。
→関連項目公教育国家承認

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国家」の意味・わかりやすい解説

国家
こっか
state

一般に,一定の領土と国民と排他的な統治組織とをもつ政治共同体をいい,また一定の地域 (領土) を基礎に固有の統治権によって統治される継続的な公組織的共同社会ともいうことができる。 (1) 広義の固有の国家とは,統治の主体としての統治機構である政府と,統治客体としての人民をともに含んでいるが,政府だけをさして国家と呼ぶこともあり,語源的に国家とは,この狭義の概念に由来している。今日の国家の起源をなすイタリア・ルネサンス期のスタート statoは,統治者およびその属僚から成る実力的統治機構と考えられていた。このように近代ヨーロッパの国家とは,なによりも権力およびその支配機構を意味していたが,やがてそれが主権の観念と結びついて,国民国家 nation stateの機構を準備した。こうして国家とは合法的な物理的強制力の独占を背景として,社会秩序を維持,管理するための支配機構を意味するにいたった。しかし国家の本質をめぐっては,大別して2つの見解が対立している。 (a) 国家を共同目標を達成することによって社会全体に奉仕するものとみる見方と,(b) 国家をその時代の生産手段を所有する支配者の階級利益を擁護するための機関とみなす説である。前者は国家を最高善の実現とみるプラトン以来の国家論の主流であって,近代政治学に継承されている。後者はマルクス主義の立場に代表されている。国家の起源に関する主張には,イデオロギーとしての意味をもつものと,その歴史的説明とがある。前者には神権説や社会契約説が,後者には征服説,搾取説,原始存在説などがある。国家の形態を,通常歴史的観点から,奴隷制を基盤とする古代国家,農奴制に基づく封建制国家,資本主義に依拠した近代国家,および社会主義国家に区分するのはマルクス主義の学説である。 (2) 法学的国家論としては,国家を統治権の主体とみる権利主体説,統治権の客体とみる権利客体説,統治者と被治者との法的関係とみる権利関係説などがある。国家の形態については種々の観点から分類されるが,君主国と共和国,専制国家と立憲国家,単一国家と連邦国家などの区別が基本的なものである。

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普及版 字通 「国家」の読み・字形・画数・意味

【国家】こくか

くに。〔鶴林玉露、甲三、二罪人〕國家一統の業、其の合してに裂くるは、王安石の罪なり。其の裂けて復(ま)た合せざるは、秦檜の罪なり。

字通「国」の項目を見る

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「国家」の解説

『国家』(こっか)
Politeia

プラトンの対話篇。中期の著作に属し,作者50~60歳のときの作かといわれる。主題は正義とその実現の場としての国家にある。プラトンが,人間の魂の三つの部分に相応する三つの身分,すなわち支配者,戦士,生産者を構想し,哲学者を支配者とする著名な理想国像を描いたのはこの作においてである。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「国家」の解説

国家 くにいえ

?-? 鎌倉時代の刀工。
国頼(くにより)の子。大和(奈良県)から京都粟田口(あわたぐち)に移住して作刀に従事,粟田口派の祖とされる。子に国友,久国,国安,国清,有国,国綱の6人がいる。通称は藤林(とうりん)弥九郎。

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世界大百科事典(旧版)内の国家の言及

【愛国心】より

…すなわち愛国心は,本来は愛郷心,郷土愛,あるいは祖国愛であって,地域の固有の生活環境の中で育まれた心性であり,自分の属している生活様式を外から侵害しようとする者が現れた場合,それに対して防御的に対決する〈生活様式への愛〉である。どの時代どの地域にも見られるこの意味の愛国心に対して,19世紀に成立したナショナリズムは,個人の忠誠心を民族国家という抽象的な枠組みに優先的にふりむけることによって成立する政治的な意識と行動である点において区別される。しかしながら世界が国家を単位として編成されるようになると,愛国心も国家目的に動員されたり,逆に国家に抵抗する働きを見せたりすることで,国家との関係を深めた。…

【主権】より

…近代国家の基本的構成要素として,それに帰属させられてきた最高権力の概念。フランスの法学者J.ボーダンがその《国家論》(1576)において最初に用いたとされる。…

【ヨーロッパ】より

…しかしこの数世紀にわたる漸次の変化を具体的内容に即して概説することはとうてい不可能であるから,ここでは〈ヨーロッパ〉を考える上で最も特徴的な,この時期の変化を指摘するにとどめたい。ケルト人ゲルマン人スラブ人民族大移動ラテン民族
[国家のあり方の2類型]
 まずその一つは,政治形態,とりわけ国家のあり方およびその性格の基本的な変質についてである。地中海を内海としたローマ帝国は,いうまでもなく多民族支配の世界帝国であり,類型的にいうならば,政教合致の絶大な権力をもつ皇帝の下,画一的な法典,多数の軍隊,煩瑣な役人制により,租税を通じて人民を掌握支配する制度国家であった。…

【政体】より

…古代ギリシアにおけるポリスの自由の観念自体,オリエントの専制政治との対比によって意識されたといえよう。プラトンは《国家》において哲学者の支配する優秀者支配制を理想的政体とし,現実の諸政体をそれからの逸脱形態として描く。名誉支配制とは知ではなく勝利と名誉を重んじる体制であり,これがさらに堕落すると,少数の富者が支配する寡頭制になる。…

【体育】より


[ヨーロッパ]
 古代ギリシアではオリンピックなどの祭典が全国的な規模で行われ,前5世紀のペルシア戦争でみせたような民族の団結をもたらした。また,ポリス(都市国家)の青少年は読み書き,算数とムシケmousikē(音楽や文芸),ギュムナスティケgymnastikē(体育)の教育を受けたが,そこでも祭典競技の種目が採用された。体育の実習をする場所はパライストラpalaistraといわれ,一般の人がスポーツを行うギュムナシオンgymnasionと併設されることが多かった。…

【プラトン】より

…前期著作:《ラケス》《リュシス》《カルミデス》《エウテュフロン》《ソクラテスの弁明》《クリトン》《エウテュデモス》《プロタゴラス》《ゴルギアス》《メノン》など。中期著作:《饗宴》《ファイドン》《国家》全10巻,《ファイドロス》《パルメニデス》《テアイテトス》(ただし文体研究による区分とは別に,〈イデア論的対話編〉である前4者のみを中期著作と呼び,《パルメニデス》以降を後期著作とする場合もある)。後期著作:《ソフィステス》《ポリティコス(政治家)》《フィレボス》《ティマイオス》《クリティアス》《法律》全13巻,《エピノミス(法律後編)》。…

【ボエティウス】より

…彼はその家系から〈最後のローマ人〉,また著作の及ぼした影響から〈最初のスコラ哲学者〉と称される。彼は,養父であり義父でもあるシンマクスと並ぶ有数の文人政治家であるが,プラトンの《国家》第5巻にみられる〈哲人王〉を終生の理想とし,同じく《国家》第7巻にそれとの関連から提示されている教育課程,すなわち哲学研究の予備教養として数学・幾何・天文・音楽の研鑽をつむべきだとする教育課程を踏襲,それぞれゲラサのニコマコス,エウクレイデス(ユークリッド),プトレマイオスの著書の翻案に基づくこれら4学科の入門書を著した。これらは,後に確立する〈七つの自由学芸〉(自由七科)のうち〈クアドリウィウム〉と称される自然科学を主体とする4教科の基礎となる。…

【ユートピア】より


[ユートピアの系譜]
 ヨーロッパでは古代以来,ユートピア思想と運動の伝統が形成されている。最古のものは,プラトンの対話編《国家》にあらわれる。プラトンはここで,哲人支配者によって厳格に統治される国家を描き,現実のアテナイを暗に批判するとともに,人間と政治の本質が理想的に発現される形式を記述した。…

※「国家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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