朝日日本歴史人物事典 「坂合部大分」の解説
坂合部大分
7世紀後半~8世紀初の官人で遣唐使として知られる。大宝1(701)年1月右兵衛率のとき,遣唐使に任じられ執節使粟田真人らと翌年6月に唐に渡る。はじめ遣唐副使であったが,のちに大使となる。養老2(718)年12月帰国,翌年1月正五位下に昇進。
(館野和己)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
(館野和己)
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